終末君に会えるなら、ぱらぱぱぱ

終末君に会えるなら、ぱらぱぱぱ

会社を辞めた元理系大学院生ニートのぼやき

承認欲求で満たされたくて溺れる

毎日更新をふいにはじめたこの「終末君に会えるなら、ぱらぱぱぱ」という意味がわからないだろう当ブログもアクセスが徐々に増えてきてテンションがあがっているゆうすけです。

 

いつからなのか。

明確な線引きはできないんだけど僕等は「いいね」や「再生回数」で評価するようになった。

人の欲求は止まらねぇぇええ

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人ってマジで「ないものねだり」だなと思う。

彼女が欲しくてたまらなくて、いざできたと思ったら愚痴を言うし、

テストで80点を取れるようになったら物足りなくなって90点が欲しくなる。

 

そうやっていつの時代の人も「自分に足りないもの」を埋めようと必死こいてきた。

そんな性質を備え付けてしまったから、隣の芝生はいつまでも青く見え続けるんだろうなと思う。

承認欲求まできちゃった

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僕たちはある程度、三大欲求は満たすことができるし、衣食住がきちんと整備されていて安全欲求は満たされてるし。

人として生きていく上で最低限の保証はされているのに、すべてが満たされてるわけじゃない。

 

マズローというアメリカの偉い学者さんがまとめた「マズローの欲求5段階説」というものがある。

  1. 生理的欲求(食欲・性欲・睡眠欲)
  2. 安全の欲求(衣食住)
  3. 所属と愛の欲求(家族・会社・学校)
  4. 承認の欲求(評価される)
  5. 自己実現の欲求(夢)

番号の若い順(上から順)にある程度満たされると、次々と段階を踏んでいくらしい。

 

スマホが登場して誰でも情報発信できるようになってかなりの時間が経った。

「自分の顔をネットに晒すなんて危ない!」なんて言われていたのに、そんな常識はものの10年でがらりと変わった。

今では「どうやったら自分の顔がみんなに認知されるだろう?」と考える人が多い。

YouTubeTwitter・Tik Tok、それぞれのプラットフォームで自分を表現する。

作る側の人間が増えて楽しみ方が変わった

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もともとをみんな受け身だったように思う。

YouTubeを見るにしろ、ブログを見るにしろ作る側の人はごく少数だった。

みんな作られたものを見て、それを楽しむ。

そうやって楽しんでいたものだったのに、作る側の人口が増えた。

 

僕もこうやってここでブログを書いていたり、Twitterをやったり、YouTubeに動画を投稿する、情報発信者のはしくれをやってる。

Twitterにつくいいねは嬉しいし、

ブログのPV数が増えるのは嬉しい。

 

大人になったら褒めてくれる人はいなくなる。

「いいね」は自分を認めてくれているような感覚をくれる。

承認の欲求に溺れた

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「フォロワー数が○○人突破!」

「フォロワー数獲得方法はコレ!」

「いいねが貰えるツイート方法はこう!」

そんな情報にのまれてフォロワー数やいいねの数がその人の戦闘力を表しているように思う。

 

「いいね」はひとつの指標でしかないよねぇ。

本当に大切なのは自分が自分のことをどう思うか。

一番近くの存在である自分の「いいね」が貰えなかったら、それってからっぽなんじゃないかな。

画面の向こう側にいる「いいね」をくれる1人を想像する

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最近ラジオ配信を始めた。

radiotalk.jp

まだまだ始めたばっかで聴いてくれる人なんていないんだろうなと思ってたけど「いいね」がちょろちょろとつくようになった。

 

「いいね」をつけてくれた人は

僕の配信タイトルをみて気になってくれて、

配信を聴いてくれて、

どんな気持ちでいいねしたかは知らないけど、

アクションを起こしてくれた。

 

もうね。めちゃくちゃ嬉しいよね。

たくさんのいいねとかもういらない。いや欲しいんだけど!笑

一人に届いていいねと思ってくれた、その感覚を大切にしたいなと思う。