終末君に会えるなら、ぱらぱぱぱ

終末君に会えるなら、ぱらぱぱぱ

会社を辞めた元理系大学院生ニートのぼやき

情報を取捨選択できる時代に何を得るべきか

一昔前は人が得る情報・好むモノが一様だった。

みんなで一緒にテレビを見て、同じ画面を見る。

アイドルはみんなの注目の的だったし、男の趣味は釣り・バイク...みたいに。ひとりひとり個性があるけど、見ている景色は一緒。

テクノロジーの進化で光景は多様に

スマホの登場は人々の生活を変えた。片手サイズに収まるこの電子機器には一人の可処分時間を考えると無限とも言えるほどに情報が詰まってる。

こんなものが携帯できて画質もいいもんだから、一人一人が自分の好きな情報を好きな時に摂取できるようになった

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ネット上には無料・低価格で情報はいくらでも手に入る。これまでは、商品を売るために情報を隠していたんだけど「信頼を得ることが何より重要」とみんなが気づいて情報の無料化が進んだ。

 

もっと体系的に信頼性のある情報を手っ取り早く欲しかったら本を買えばいい。Amazonでポチれば翌日に届く。

情報を選べるようになったけど...

すごくいい時代になった。

何か勉強しようと思ったら無料でそこそこ、何なら仕事にできてしまうくらいのスキルを身につけられるようになった。

 

例えば、僕はプログラミンを勉強しようと思ったとき、スクールに通うのでもなく、本を買うのでもなく、「ドットインストール」や「Progate」という無料のサービスを利用した。

あとは、がっつり収益化を目指したブログを作ろうと思ったときには、ブログ解説の手順から、どう書けばいいのかまで無料で全部ネットに落ちてるし、

アコギの練習しようと思って楽譜を知りたかったら「U-フレット」でたくさん見れる。

 

もう少し「自分に必要な情報摂取」に着目して話すと...

こうやって選べるからこそ、情報が偏るんじゃないかという心配もある。僕がいままさにそのことについて悩んでいるし、多くの人が陥っていることだとも思う。

 

どういうことかと言うと例えば、

ホリ○モンさんのことが大好きで、本はホリエモンさんの本ばっかり読んでる。ホリエモンが肯定することに同調し、否定することは一緒に揶揄する。そのときは、気持ちいいかもしれない。だって、ホリエモンの本を読めば自分のことを肯定してくれているように錯覚するし、自分が嫌いなものはホリエモンが代わりに嫌いと言ってくれる。

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本当にこれでいいのかな?

ぶち抜きたいなら圧倒的なインプットに鬼のアウトプット

そんな疑問を抱いてからは、触れる情報に対して疑いの目を向けることを意識してる。何が正しいのかなんてわからないし、たぶんだけど自分以外から得た情報に自分に最適な答えなんてない。

 

本を読んでいても、自分が興味を持てない文章は右から左に流れて行ってしまうし、「この本、めっちゃいいことが書いてある!」と思っても、一度立ち止まって「いや、これって僕が考えてることを著者が代弁して自分が気持ちよくなってるだけじゃないか?」と思うようになった。

 

こんなけ情報が溢れていて、新しい本が毎日で続けるのは、こうやって「著者が代弁してくれる気持ちよさ」に浸ってるだけなんじゃないかとさえ思う。

だって、成功法則なんてとっくに見つかってる。

 

絵描きになりたいなら、プロの絵描きの絵を見て勉強(インプット)して、自分でも絵を描きまくる(アウトプット)しかないし、

野球選手になりたい場合も、弁護士になりたい場合も、なんでもなんでも何者かになりたかったらもうやることは明解。

 

やるしかねぇぇええええ!!!

 

...のかぁ。笑