終末君に会えるなら、ぱらぱぱぱ

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会社を辞めた元理系大学院生ニートのぼやき

頑張ることは無駄じゃない話。なんでも挑戦しよう

「頑張ることは無駄じゃない」すげー当たり前のことのようなだけど、正確な意味で理解できていなかった自分がいた。

頑張ることとか、挑戦することってそれだけで価値のあることだから、やらない手はねぇな、と思う。

「失敗したらどうするの?」は愚問

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英語の授業とか「間違えた英語を喋ってないか恥ずしい」「発音がしっかりできないから喋るのが恥ずかしい」って感じたことが誰しもあると思う。

これって、すげーもったいない考え。

だって、誰でもできないことがあるなんて当たり前だし、むしろできないことだらけ。

できなくて当然なんだから、それを恥ずかしがる必要はないよね。

 

個人の力で生きていこう!と思って、会社を辞めたわけだけど当然

「大丈夫?」

「失敗したらどうするの?」

なんて質問がくるけど、、

 

その通り、大丈夫でもなければ、失敗もしまくると思う。

が僕の回答。

 

今が大丈夫じゃないから、大丈夫な状態にこれからしようって話だし、そのためには失敗なんて山ほどすると思う。

 

できないことがあるのは当然で、目標を達成するってことは、できないことをできるようにする作業なわけで、

なので今できないのは当然。

それは恥ずかしいことじゃなくて、これからできるようになればいいだけ。

0→1の作業は発見がいっぱい

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さっき英語の勉強について例を出したから、それに関する僕のエピソードを書こうと思う。

僕は「英語喋れるってかっこいいなー」という、ただそれだけの理由で英会話スクールに通っていたことがあった。

 

スクールは超初心者コースで、外国人講師と教科書を見ながら会話メインで複数人と一緒に勉強するというもの。

当然、初心者コースなので先生は優しい英語を話してくれるんだけど、聞き取れないことが多い。

自分が話したいことも英語となると、どう喋ればいいのかもわからない。

 

そんなこんなで結局スクールに通うのが嫌になって、3か月ほどで辞めてしまった。

じゃあこの「英会話スクールに通って英語の上達をする」という僕の挑戦は無駄だったかというと、全くそうじゃない。

 

「自分は英会話を楽しめない」

「英会話は本当に自分に必要じゃない」

ということはわかったし、

 

もしかしたら、その英会話スクールに行く一歩によって、

「英語喋るってめっちゃおもろい!」と思えたかもしれない。

そうだったとしたら、

「外国人が集まる交流会に行ってみよう」

「海外の映画を字幕なしで見てみよう」

「翻訳の仕事をしてみよう」

ってなっとったかもしれん!!

 

このいろんな可能性を考えると、0→1の行動は全く無駄じゃない。

ブログ・YouTube・ラジオ・学会発表・図解の共通点

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僕は大学院生時代に研究内容を学会で発表していた。

会社員時代は副業としてクラウドソーシングで図解を販売していて、

今はブログ・YouTube・ラジオ配信をしてる。

 

これらって全部独立したことではなく「相手にわかりやすく伝える」という点においては、どれも共通すること。

だから、学会発表で得たノウハウはブログに役立つこともあるし、ブログがYouTubeに役立つこともある。

 

最近は情報発信の媒体として「ブログか?」「YouTubeか?」みたいな論争があるけど、結論どっちもやってみればいいと思う。

 

ブログ一本に絞ってなかなか成果がでなくても、その挑戦がすべて無駄だってことは100%ありえない。

失敗したらオワリみたいな0、100の世界ではなくて、そこで正しい努力ができていたなら、そこで培ったことは必ずどこかで役に立てることができる。

 

だから、

まずは目の前のことに全力で頑張ることが大切だと思うんだよね。

失敗なんてして当然だし、失敗は単なる勉強材料なわけで、、だから頑張ることとか挑戦することはコスパが超いい。