終末君に会えるなら、ぱらぱぱぱ

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会社を辞めた元理系大学院生ニートのぼやき

「モチベーションはチープであれ」

僕には幸せなことに相手から何気なく電話をかけてくれる友達がいる。

昨日はそんな友達と電話をしているときに友人が

「モチベーションはチープであれ!」が俺のモットーと言っていた。

 

これについて同感で、今日はこれについての僕なりの解釈を記そうと思う。

モチベーションって...

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ここでいう、モチベーションというのは、何か行動を起こすときの「理由」のこと。

「モテたいから、おしゃれをする」とか

「お金が欲しいから、働く」とか。

○○だから、何かをする、というときの○○がモチベーション。

 

このモチベーションがチープであるべき、という話。

これまたここでいうチープというのは、平たくいうとしょうもないこと。

「誰かを守りたい」

「誰かの為になりたい」

といった、高尚な理由ではなく

 

「モテたい」

「かっこよく見られたい」

「金持ちになりたい」

と、まぁこんな感じ。

僕がこれに賛同する理由

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僕がこの「モチベーションはチープであれ」に賛同する理由はいたって単純で、僕を突き動かすモチベーションがチープだからだ。

 

みんなからチヤホヤされたいから、お金を稼ごうと努力するし、

将来遊ぶように生きたいから、会社を辞めたし、

そこには高尚な理由がない。

 

実はこれについては以前からめっちゃ考えてて、

人生には、「誰かの為」とか「何かの為」っていう自分以外のものに貢献しないといけないと思ってた。

形はどうであれ、尊敬される人は絶対誰かの為になることをしている。だから多くの人に尊敬されるし、憧れられる。

 

だから、僕もそういう人間になりたいって思うんだけど、「誰かの為」とかって高尚な理由は見つけようと思っても見つからない。

 

だから友人の言葉を聞くと、同じように考えている人がいてホッとする。

「モチベーションはチープであれ」の本能的意味

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マズローの欲求段階って知ってますか?

人間は欲求が段階的に満たされていくっていうアレ。

三大欲求がある程度満たされると、今度は安全を求めて、その次は承認欲求、次は自己実現欲求、、、みたいな。

 

欲求って自分の内から起こるものなので、当たり前ですけど自分主体のことなんですよね。

「自分はこうありたい」

「自分はコレが欲しい」

そこには、他者はいなくて(もちろん愛されたいとか他者ありきの欲求もあるんだけど、それも自分の為だよねって話)、そこには誰かを救いたいとかっていう、僕がココまでさんざん言ってきた高尚なモチベーションはない。

 

って考えると、モチベーションがチープであれって超普通のことなんですよね。

当たり前で、本能的で、人間として普通のこと。

 

ただ、そういうこと言うのって恥ずかしいじゃん。

やっぱ自分が動く理由はカッコイイものでありたいし、人からすげーって言われるような理由でありたい。

 

僕は友人が「モチベーションはチープであれ」をモットーにしている理由が、乱暴に言うと「かっこつけんな」だと思うんだよね。

着飾らなくていいから、素のままの発言をしろよ、みたいな。笑

 

素でいることって、恥ずかしい時もあるし、バカにされるようなときもあるけど、幸せに生きるためには必要なことのように思う。