お金稼ぎはキレイにできてない。だから美しい
僕は社会人になってもうすぐ1年になる。
まだまだ社会に交わってお金を稼ぐようになってピカピカの1年生ながらに思うことがある。
表立っては
「お金は信用を数値化したものだ!」
なんてよく言われる。信用経済とか評価経済とかなんとか...。
信用・信頼されている人のもとにお金が集まるというのは、すごくキレイな話だ。
ただ、お金を稼ぐってそんなキレイに成り立ってないことが多いように思う。
会社員時代のお金稼ぎ
僕はいまフリーランスとして活動しているけど、もともとは会社員だった。
僕が入社した会社はPC周辺機器を作っているメーカー。
今の若い世代の人たちは、小さいころからPCやスマホに触れているし、わからないことがあったら検索する癖がついているから、PC周辺機器といっても大体は理解することができる。
ただ、理解できない人も大勢いる。どちらかというと、理解できない層の方が多い。
当然、企業なので作ったら売らないといけない。
本来、自社の商品を届けるべき人に届けることがベストなんだけど「競合他社もいる」「全体としての市場も落ちている」「上司にもっと売れ!と言われている」、などいろんな要因から売れれば何でもいい状態になる。
悪い言い方をするとお客さんを騙してでも売らないといけない環境が整ってしまう。
こんなもん、信用経済もへったくれもない。
(大きな声で言えないが...ひとつ例を紹介すると、家電量販店で「店員のおすすめ!」みたいな商品はメーカーからお金を貰って、それを売るように指示されていることがある。つまり、本当に店員さんがおすすめしているわけじゃない。)
フリーランスのお金稼ぎ
フリーランスになると、自分で仕事を選べる。
僕はココのブログ含めて2つのブログを書いていて、文字を書くことが得意なので、それを仕事にしようと思ってWebライティング(記事の執筆代行)の仕事をしている。
僕みたいな駆け出しフリーランスだと、ネットでリサーチした情報をまとめて記事にすることが多い。
つまり、僕にしか書けない文章があるから僕に仕事を頼むのではなく、記事を量産したいから僕に頼んでいるパターン。
当然、記事の質は低いので単価も低くなる。
量産された記事は誰でも無料で閲覧することができるが、投稿者は何もボランティアで記事を投稿しているわけじゃない。
投稿する理由は、お金になるから。
それを踏まえてネットサーフィンしていると、(嘘とまでは言えないけど)信頼できないような記事が大量に見つかる。
「ネットの情報は信用できない」由来はココにある。
発信者の都合のいいように発信できるから、情報の信頼性とお金が天秤にかけたときに、お金に傾く方に常に動く。
これも、信用経済なんかではないはずだ。むしろ読み手を騙しているのだから信用の逆だ。
だから美しい
こういった世の中の裏というか闇というか、、
それらはどんなシチュエーションでも起こってると思う。
純粋な心を狙った悪質な情報商材を売りつける人はいるだろうし、
ハロウィンの夜はみんな盛り上がって楽しいけど、次の日はゴミだらけだし、
水族館で綺麗に見える魚たちは、水槽の中で一生を終えることを望んでいないだろうし、
表では綺麗で楽しく映っているその裏は、結構汚いことが多い。
ただ、これは、、、
しょうがねぇと思う。
「だからこの世の中の考え方を変えたいんだ!」とかじゃなくて、、しょうがねぇ。
世の中に悪があるから正義がある。
まずいご飯があるから美味しいご飯がある。
どれもセットだ。
Peaceの対義語の戦争を無くすため何回だって行う戦争
朝がなければ夜もないそして悪がなければ正義もない
そして不自由がなければ自由もないだから戦争がなければPeaceもないのかい?
SEKAI NO OWARI「Love the warz」より
まぁ、この考え方はSEKAI NO OWARIの歌詞からインスパイアされてるんだけどね。