文句を言うなら辞めるか・改善策を考えよう
僕は嫌なこと・ストレスがかかることをされたときに、文句を言わずに「その環境に身を置いている自分のせいだ」と思うようにしてる。
例えばだけど、会社にいることが嫌になったので入社8ヵ月で辞めた。
そのように自責の念を大切にしようと思ったのは、ある人たちの発言がもとになっている。
林修先生の教え
例えば「今でしょ」で一躍有名になった塾講師の林修先生はテレビでこんなことを言ってる。
文句があるなら
- その環境を自ら脱出するか
- 気にくわないルールを自分で変えてしまう
この2つだと。
サービスを貰っているのにも関わらず、文句を言う資格はない。だから文句があるのに居続けるのは僕は一番嫌い。
例えば、職場での仕事に文句を垂らす人がいるが、あなたはお給料を貰っているわけだろう。
お給料はしっかり貰っているにも関わらず、
ましてや自分でその職場を選んでいるのも関わらず、
文句を垂らしてしまうのは、かっこわるい。
はあちゅうさんの教え
はあちゅうさんはこちらの記事を書いたことで、炎上したらしいが意味がわからない。
記事の要約をすると、
貧乏人
世の中が悪い、政治が悪い、時代が悪い、会社が悪いと愚痴ばかり
起業家
世の中が悪い...だから、こういう世の中を作りたい、こういう時代にしたいという意志のある会話ばかり
貧乏人は文句だけを言う・起業家の人たちは自分事と考えて改善策を考える。
「だから起業家の方たちはお金持ちなんだ」とはあちゅうさんは感じたそうです。
文句だけを言う意味
文句を言う人、、僕の少ない人生経験からでも、本当に多いように感じる。
その人たちは「おれ、いいとこついて、鋭い指摘してるぜ」みたいなマウントを取っているのではないか?と思う。
たしかに、注意して物事を見ていなければ、気づくことすらできない。
「こうなったらいいな」というアイデアすら生まれない。
アイデアは形にするから価値がある
ただ、アイデアはただの出発点に過ぎず、スタートダッシュを決めないと意味がない。
僕等が生きている地球は行動の星だ。
アイデアは形にならないと、ないも同然だ。
「早く移動できるようにならないかなぁ...」と思いを巡らせるだけでは、車は誕生しない。
与えられることに慣れている僕等
今はもう解散してしまったバンド「AquaTimes」の代表曲ともいえる名曲“決意の朝に”の歌詞がとても好き。
他人の痛みには無関心
そのくせ自分の事となると不安になって
人間を嫌って不幸なのは自分だけって思ったり
与えられない事をただ嘆いて三歳児のようにわめいて
愛という名のおやつを座って待ってる僕は
アスファルトの照り返しにも負けずに
自分の足で歩いてく人達を見て思った
動かせる足があるなら向かいたい場所があるなら
この足であるいてゆこう
僕たちはもう三歳児じゃない。
与えられるんじゃなくて与える側にならないといけない。
それが大人になるってことだ。