人に価値観を押し付ける人がマジデ無理な話
不登校YouTuberの「ゆたぼん」さんがめっちゃ話題になりましたよね。
「先生の言うことをハイハイとやる、同級生がロボットに見えて、僕はそうなりたくない」と学校に行かないことを選択した。
このこと自体にはあんまり興味がないんだけど、これについて多くの人が言及してることについては思うことがある。
外野がギャーギャー言うことじゃない
この記事タイトルにもしている通り、僕は人に価値観を押し付ける人が苦手なので、ゆたぼんさんに「あーだ、こーだ」いうこともないし、言うつもりもない。
「10歳という若さで自分で考えて行動出来て凄いなぁ」とか
「自分の体験を交えて意見を発信して世間を変えようとしてるってかっこいいなぁ」って感じに見てた。
何かが起きたときには、その出来事の気にくわない所とか、あらとか、そんなものどうでもよくて、少しでも自分の中に取り入れられないかって考える。
学校に行くべきとか、行かなくていいとか、そんなの所詮外野の意見。外野から声を出すなんて誰でもできる。
人に価値観を押し付ける人がマジデ無理
「自分の意見を持ってて偉い」とか、
「その発信を応援する」とか、
ポジティブな意見を吐くのはいいことだよね。
感動した映画は人におすすめしたくなるし、綺麗な景色は写真に収めて人に自慢したくなる。
ただ、
「義務教育なんだから行けよ」とか、
「社会舐めんな」とか、
「見ててウザい」とか、
ネガティブな意見を吐く人って、まーじでよくわからん。
ゆたぼんさんが学校に行かずに、自分の選んだ道で成功をおさめるかもしれないのに、なんでその芽を摘むような発言をしちゃうんだろう...。
世の中、自分の頭で考えずに流されて生きている人なんて、たくさんいるのに(た、たぶん)、それ比べたら全然マシでしょう...。
そもそも、指摘する人の意見が100%正しいと仮定して、ゆたぼんさんが痛い目を見ようが、地獄を味わおうが、それは自業自得なわけで、僕たち外野には一切関係ないし、
なんなら、若いうちにそういった大きな挫折を味わうことって、今後の人生において、その経験は貴重な財産になるでしょう。
人の生き方に指図できるって、あなた神様仏様ですか?って。
義務教育放棄について思うこと
学校に行っていても、勉強しない人はしないし、勉強はしないといけないものだってのもよくわからん。
最近この本を読みました。
論語についてわかりやすく斎藤孝さんが解説してくれる、とてもいい本で、この本にはこんなことが書かれていました。
OECD(経済協力開発機構)による生徒の学習到達度調査でも、日本人は「どうしても本を読まなければならないときしか、本を読まない人が多い」というデータが出ています。また「数学を日常の中で応用しようと思っているか?」との質問に、日本人は十数%しかイエスと答えていません。ところが、世界的に見るとそれは普通ではない。諸外国の平均は五十パーセントもあるのです。
学校の勉強って「テスト」とか「受験」のためにあるって考え方が基本になってるよね。
数学を勉強しても、それはテストで良い点を取るためであって、日常に活かすためじゃない。
だから、日本人は勉強を楽しむ、というのが苦手だそう。
僕は、学生時代に勉強にそこそこ時間をかけていたので、これについては「たしかにそうだよな」と思う。
だから、ここで何が言いたいかって、
「学校の勉強ってそんなにいいもの?」
ということ。
ゆたぼんさんが「宿題やりたくない」という理由で、学校に行かないけど、あなたはその宿題を全て完璧にやったの?やったうえで、それを何かの役に立てたの??
画面の奥にいる人を想像できる人間でありたいね
ネットって怖いもので
平気に、名指しで誹謗中傷できちゃったりする。
ゆたぼんさんに対して「見ていて気持ちが悪い」というコメントは、まさにそれ、、。
その発言、相手を前にして、同じコメントを、まっすぐ相手の目を見て言えることかどうか。
そこを想像して怖くて言えなくなるような発言ならしない方がいい。
僕もTwitterはやっているし、こうやってブログを書いたりする人間なので、ここの分別についてはちゃんと、はっきりしていたいなと思う。
顔は見えなくても、そういった何気ない誰かもわからないコメントって結構心に刺さったりするからね。
言った本人は明日になったら、忘れてるんだから残酷だよね。
そんなこと言ってる僕が書いているこの文章だって、誰かを不快な思いにさせてるかもしれないから難しいんだけど、
そんなことばかり気にして何気ないコメントばかりするのも、何か違う気がする。
そんなこと考えるとネットの使い方って、めっちゃ難しいなって思うんだけど、
結局はそういった傷つくコメントにも耐えうるメンタルを作るべきだなって結論にいつも至る。
自分の芯がしっかりしていて、肝が据わってる人は、誹謗中傷に動じないと思うし、何より自分の考えを大切にしているから、とても魅力的に映る。
僕もそんな人間になりたいな、と。
僕が「元理系大学院生ニート」と名乗る理由
このブログのサブタイトルにも「元理系大学院生ニート」という言葉を入れていたり、ラジオトークの配信では「元理系大学院生ニートのぼやき」というチャンネル名で配信してる。
これにはちょっとした理由があるので書こうかな。
キャッチコピー的なもの
ブログ名とかチャンネル名とか、そういうものって、この人が何者であるかが伝わることが割と重要だな、と。
例えば、メンタリズムで有名なDaigoさんは「メンタリスト」と名乗っていて、これだけでこの人がどんな内容の発信をしているかが、パっとなんとなくだけどわかる。
で、自分のブログやチャンネルを作ろうとしたときに、自分を表す何か一言って何かなって考えたときに...
「ないな...」
と思ったわけです。
自分は何屋さんなのかイマイチ自分ですら分かってないし、
覚えてもらいやすいような、あだ名もない。
「元理系大学院生ニート」の意味
とはいえ、何かつけないと、と思って「元理系大学院生ニート」という文言をつけた。
僕は理系大学の大学院に進学した過去もあるし、会社を辞めてニートした経験もあるので、それをくっつけた。
まぁ、今もフリーランスなのかニートなのか区別がよくわからない生活をしてるんですけどネ。
「大学院に行ってます」と言うと、ほぼ100%の確率で「へー頭いいね!」と言われる。
僕の大学では6~7割くらいの人が大学院に進学するから、僕からしたらむしろ普通なんだけど、一般的な人からすると特別なことっぽい。
そんな頭よくないのに「頭いいね」って言われるってコスパいいなと思った。
大学院に進学する人は大企業でバリバリ働くイメージが僕はあるんだけど、むしろ僕はその逆を行っていて、ニートみたいな生活してる。
このギャップ。
なんか覚えてもらえそうじゃね?
ってことでこの名前にしました。
ニートに対して思うこと
一般的にニートという言葉は「なりたくないもの」「負け組」「親のすねかじり」みたいなイメージがある。
僕も部分的にはそう思うんだけど、ニートを名乗るあるYouTuberさんがこんなことを言っていて、とても素敵だと思った。
YouTuberさん「おれは好きなことで生きたい。現に今はこのYouTubeという情報発信の方法で好きなことだけで生きている。これは自分の好きなことだから、仕事と思ったことはない。こんな仕事を仕事とも思わないようなことをして生活する、ニートのような生活をしているから、おれはニートと名乗ってる」
かっけぇ、と思いましたね。
ニートって「なりたくない」んじゃないくて正確には「周りの目なんて気にせずなれるならなりたいけど、そんなことないからなりたくない」だよね。
だって、働きたくないもん。大変だし。辛いことあるし。
連休明けの仕事とか最悪じゃん。
みんながそうとは限らないけど、これって99%の人が思ってることやんね。
働かずにお金もらえるんだったら、誰も働かないんじゃないかな。
最もハッピーな生き方
人ってだらける生き物だから、働きたくないって甘えでもなんでもなくて、素直な声だと思う。
でも、この世界では働かないと生きていけない。
じゃあ平日5日、7分の5を嫌なことで埋める人生を歩むの?と聞かれると誰だってそれは嫌なわけで。
じゃあ、その7分の5すらおもろいものにすればいい。
紹介したYouTuberの言葉もこれと同じ考えで、仕事すらおもしろいものとしちゃえばいい。
ニートはなりたくないものから、目指すべきものになるんじゃないかな。
とはいえ、元理系大学院生ニートって、漢字が7個も連続してるし、よくわからんし、覚えづらいしで、あんまり気に入っていないので、しっくりくるものができたらソッコーで名前変更します。笑
「モチベーションはチープであれ」
僕には幸せなことに相手から何気なく電話をかけてくれる友達がいる。
昨日はそんな友達と電話をしているときに友人が
「モチベーションはチープであれ!」が俺のモットーと言っていた。
これについて同感で、今日はこれについての僕なりの解釈を記そうと思う。
モチベーションって...
ここでいう、モチベーションというのは、何か行動を起こすときの「理由」のこと。
「モテたいから、おしゃれをする」とか
「お金が欲しいから、働く」とか。
○○だから、何かをする、というときの○○がモチベーション。
このモチベーションがチープであるべき、という話。
これまたここでいうチープというのは、平たくいうとしょうもないこと。
「誰かを守りたい」
「誰かの為になりたい」
といった、高尚な理由ではなく
「モテたい」
「かっこよく見られたい」
「金持ちになりたい」
と、まぁこんな感じ。
僕がこれに賛同する理由
僕がこの「モチベーションはチープであれ」に賛同する理由はいたって単純で、僕を突き動かすモチベーションがチープだからだ。
みんなからチヤホヤされたいから、お金を稼ごうと努力するし、
将来遊ぶように生きたいから、会社を辞めたし、
そこには高尚な理由がない。
実はこれについては以前からめっちゃ考えてて、
人生には、「誰かの為」とか「何かの為」っていう自分以外のものに貢献しないといけないと思ってた。
形はどうであれ、尊敬される人は絶対誰かの為になることをしている。だから多くの人に尊敬されるし、憧れられる。
だから、僕もそういう人間になりたいって思うんだけど、「誰かの為」とかって高尚な理由は見つけようと思っても見つからない。
だから友人の言葉を聞くと、同じように考えている人がいてホッとする。
「モチベーションはチープであれ」の本能的意味
マズローの欲求段階って知ってますか?
人間は欲求が段階的に満たされていくっていうアレ。
三大欲求がある程度満たされると、今度は安全を求めて、その次は承認欲求、次は自己実現欲求、、、みたいな。
欲求って自分の内から起こるものなので、当たり前ですけど自分主体のことなんですよね。
「自分はこうありたい」
「自分はコレが欲しい」
そこには、他者はいなくて(もちろん愛されたいとか他者ありきの欲求もあるんだけど、それも自分の為だよねって話)、そこには誰かを救いたいとかっていう、僕がココまでさんざん言ってきた高尚なモチベーションはない。
って考えると、モチベーションがチープであれって超普通のことなんですよね。
当たり前で、本能的で、人間として普通のこと。
ただ、そういうこと言うのって恥ずかしいじゃん。
やっぱ自分が動く理由はカッコイイものでありたいし、人からすげーって言われるような理由でありたい。
僕は友人が「モチベーションはチープであれ」をモットーにしている理由が、乱暴に言うと「かっこつけんな」だと思うんだよね。
着飾らなくていいから、素のままの発言をしろよ、みたいな。笑
素でいることって、恥ずかしい時もあるし、バカにされるようなときもあるけど、幸せに生きるためには必要なことのように思う。
頑張ることは無駄じゃない話。なんでも挑戦しよう
「頑張ることは無駄じゃない」すげー当たり前のことのようなだけど、正確な意味で理解できていなかった自分がいた。
頑張ることとか、挑戦することってそれだけで価値のあることだから、やらない手はねぇな、と思う。
「失敗したらどうするの?」は愚問
英語の授業とか「間違えた英語を喋ってないか恥ずしい」「発音がしっかりできないから喋るのが恥ずかしい」って感じたことが誰しもあると思う。
これって、すげーもったいない考え。
だって、誰でもできないことがあるなんて当たり前だし、むしろできないことだらけ。
できなくて当然なんだから、それを恥ずかしがる必要はないよね。
個人の力で生きていこう!と思って、会社を辞めたわけだけど当然
「大丈夫?」
「失敗したらどうするの?」
なんて質問がくるけど、、
その通り、大丈夫でもなければ、失敗もしまくると思う。
が僕の回答。
今が大丈夫じゃないから、大丈夫な状態にこれからしようって話だし、そのためには失敗なんて山ほどすると思う。
できないことがあるのは当然で、目標を達成するってことは、できないことをできるようにする作業なわけで、
なので今できないのは当然。
それは恥ずかしいことじゃなくて、これからできるようになればいいだけ。
0→1の作業は発見がいっぱい
さっき英語の勉強について例を出したから、それに関する僕のエピソードを書こうと思う。
僕は「英語喋れるってかっこいいなー」という、ただそれだけの理由で英会話スクールに通っていたことがあった。
スクールは超初心者コースで、外国人講師と教科書を見ながら会話メインで複数人と一緒に勉強するというもの。
当然、初心者コースなので先生は優しい英語を話してくれるんだけど、聞き取れないことが多い。
自分が話したいことも英語となると、どう喋ればいいのかもわからない。
そんなこんなで結局スクールに通うのが嫌になって、3か月ほどで辞めてしまった。
じゃあこの「英会話スクールに通って英語の上達をする」という僕の挑戦は無駄だったかというと、全くそうじゃない。
「自分は英会話を楽しめない」
「英会話は本当に自分に必要じゃない」
ということはわかったし、
もしかしたら、その英会話スクールに行く一歩によって、
「英語喋るってめっちゃおもろい!」と思えたかもしれない。
そうだったとしたら、
「外国人が集まる交流会に行ってみよう」
「海外の映画を字幕なしで見てみよう」
「翻訳の仕事をしてみよう」
ってなっとったかもしれん!!
このいろんな可能性を考えると、0→1の行動は全く無駄じゃない。
ブログ・YouTube・ラジオ・学会発表・図解の共通点
僕は大学院生時代に研究内容を学会で発表していた。
会社員時代は副業としてクラウドソーシングで図解を販売していて、
今はブログ・YouTube・ラジオ配信をしてる。
これらって全部独立したことではなく「相手にわかりやすく伝える」という点においては、どれも共通すること。
だから、学会発表で得たノウハウはブログに役立つこともあるし、ブログがYouTubeに役立つこともある。
最近は情報発信の媒体として「ブログか?」「YouTubeか?」みたいな論争があるけど、結論どっちもやってみればいいと思う。
ブログ一本に絞ってなかなか成果がでなくても、その挑戦がすべて無駄だってことは100%ありえない。
失敗したらオワリみたいな0、100の世界ではなくて、そこで正しい努力ができていたなら、そこで培ったことは必ずどこかで役に立てることができる。
だから、
まずは目の前のことに全力で頑張ることが大切だと思うんだよね。
失敗なんてして当然だし、失敗は単なる勉強材料なわけで、、だから頑張ることとか挑戦することはコスパが超いい。
おもろい人になりたくて頑張ってたらクソつまんない人間になった話
GWということで、実家に帰省しました。
実家に帰って、親戚の人たちに囲まれて思ったんです。
自分って周りの人から見たらクソつまんねぇ人間なんだなって。
実家にいて気疲れしてダウン
僕は新卒で入社した会社を約8ヶ月で退職した。
親からしたら意味不明の行動でとにかく心配らしい。
「何をしてるのかわからん」
「本当にやっていけるの?」
「お金は大丈夫?」
自分としては、少しづつだけど着実に前に進んでいて、会社を辞めてから嬉しいことが増えた。
月の稼ぎが初月は3万だったのが、3ヶ月後には20万に増えた。
ブログの読者が増えた。
尊敬している人から仕事を貰えた。
そんなこと話しても、このことが何を意味するのかわかってもらえない。
わからないことだから次の言葉は「安定が保証されているわけじゃないでしょ?将来はどうするの?」といった類の心配をする声だけ。
僕が嬉しいと感じることを深く理解しようとするんじゃなくて、
マイナスなネガティブなわかりやすい方にしか思考がいかない。
親に理解してもらえないってのは、25歳というこの歳にして初めてのことで、これがけっこうダメージをくらう。
今までは「テストでいい点を取る」「試合で勝つ」「大企業に就職する」とわかりやすいものばかりで、親から理解を得ていた。
普通に就職して、普通に働いて、普通に結婚して、普通に死んでいく人生が嫌でそこから外れようとしているんだから、理解されないのは当然。
たくさん本を読んで、たくさん情報を仕入れて、たくさん挑戦して、たくさん努力してるつもりなのに、「そんなことしてるのも、若いから」で片づけられる。
お金について真剣に考えてるの?
親が一番心配するのはお金の問題だ。
じゃあ、親はお金をどうやって使ってるのか、
「ほかのスマホは使い方がわからないから」という理由で、最新のiPhoneを買おうとしていて、通信量も多くないのに大手キャリアの高い通信費を毎月払い続けてる。
車は複数台持っているうえに、バイクも持っていて、猫も飼ってる。
それだけコストのかかる生活をしていて「お金大丈夫?」と言われても「そんな毎月お金使わないから大丈夫」という返答しかない。
「お金は何をするにも大事だけど、コストを下げる&タダにすることも大事」だと誰かが言ってた。
これを受けて僕が実践してる節約術を書くと
- 長距離移動はバス
- 髪はカットモデルとして切ってもらう
- なるべく自炊
- シェアハウスに住んで光熱費節約
- 本は中古本で売買
- 7万円で揃えたデスクトップパソコンで仕事
- 仕事はネットで完結するので経費が低い
- 格安SIM
- 趣味はアコギ
- 国民年金&健康保険は免除・減額
- 支払いは常にクレカでポイントゲット
ざっと、こんな感じ。だから、月は最低10万もあれば生きていける。
しかも、収入は会社から貰うのではなく、僕個人で稼いでいるので、人よりは「お金」というものに向き合ってる。
だから「お金大丈夫?」という質問なんて受けるまえから、めちゃめちゃ考えてる。
ってか、考えてなかったら会社辞めてない。
仕事の話は放っておいてなんでみんな結婚するの?
実家に帰って親戚一同が集まると、結婚がどうとかこうとかの話をする。
僕にとっては意味の分からない言動なんだけど、社会人になってから20代も後半にさしかかると「そろそろ結婚か?」みたいな話がでる。
なんで結婚ってすることが当たり前なんだろう?
歳が来たから結婚するんじゃなくて、結婚したい人がいるからするんでしょう?
平日やりたくもない仕事をして、それってお嫁さんとか子供を幸せにできるのかな?
自分は犠牲になって、他人を幸せしようって、自分のことを高く見積もりすぎじゃね。
お金稼ぎは公平なジャッジが下されるゲーム
生きるため・人生を楽しむためには、お金は稼がなくちゃいけない。
なら「仕事って超楽しい!」と思えたら最強なわけで、それはある種生まれたときから目標にすべきことじゃないかなって思う。
それは僕が、しょせん、生きることって楽しむことだと思ってるからかもしれんが。
それくらい仕事とかお金って大事なことなのに、それについて真剣に考えてる人って少ないと思う。
仕事は嫌なものと割り切って、あとの残された時間を楽しもう、みたいな。
めっちゃ努力して「やっぱ仕事ってつまんねぇな...しゃーなしでやるか」って結論に至るならわかるんだけど、そうじゃない。
収入については触れちゃいけないみたいなイメージがあるし、ビジネスの話はつまらないものみたいなイメージがある。
僕は中学高校と結構勉強を頑張っていたほうだから、思うことがあるんだけど。
「数字」は残酷だし、最高でもあるってこと。
いくら頑張っても、その努力が間違っていれば結果はでないし、だからこそ、そこを攻略して高得点を叩き出したときは最高に気持ちがいい。
そうやって公平に評価されるのが、ゲームみたいに面白い。
お金稼ぎもある種こういったゲームみたいなものだと思ってる。
お金を稼がなくちゃいけないゲームに放り出されてるんだから、そこはもう割り切って楽しんだほうがいいのに、みんなそこには無関心。
会社員時代の経験が浅いからなんとも言えないけど、会社にいるとこの公平な評価がされないことがある。
上司も完璧な人間じゃないから、誤った評価を受けることもあるだろう。
その評価に対して愚痴る人も見てきた。
でも、自分でお金を稼ぐとなると、全部自己責任。
逆に言うと、このゲームで評価されるってことは自分がうまく順応できてる何よりの証拠だってことになる。
だから仕事についての話って超面白いなって思うだけど、、、
こんなことにテンション上がってる自分って周りの人からしたら超つまんない人間なんだろうな..。
退職した会社の同期と久々に会って感じたアレコレ
僕は、新卒で入社した会社を約8か月というとても短い期間で退職してしまった。
今日はそのときの同期に会って、自分が情けなくなったので、ここに記したい。
大変なことが多いのはお互い様
会社の同期はちょうどこの時期に社会人2年目となった。
ができたとはいえ、まだまだわからないことが多いらしく、大変なことが多いそう。
直近で会社の体制が変わって、自分の思い通りにうまくいかないことが多く、GW前にして「もう無理...」となって、1週間の休みをもらったとのこと。
前会ったときは仕事は楽しいと言っていたし、今日会った時も元気そうにしていたので、めちゃくちゃびっくりした。
古い付き合いでもないからなのか、僕はその変化に気づかず、人って見た目よりもダメージを受けていたりすんだなと思った。
僕はスキルもなく会社を退職したから、やっぱり苦労することが多い。
自分で頭を働かせて、人よりも手を動かしている自信があるけど「頼むから1週間休ませてくれ...」と思うほどの苦労はしていないので、自分の苦労ってたかが知れてるなと思った。
仕事内容は安定的なお金より大事なもの
僕は退職して、独立する道を選んだ。
周りの人からすると「そんなこと、ようやるな」「会社にいれば安定するのに」と言われる。
もちろん、大変なことは多いし、そのわりに稼げる金額は少ない。
ただ、会社にいたって、自分で稼いでいたって、結局、、みんな大変な思いをしてる。
その種類が違うだけで。
なら自分に合った苦労を選ぶほうが幸せだと思う。
会社にいる人は安定したお給料がもらえるというメリットがあるけど「組織に左右されたり、周りの環境に左右される」という苦悩を抱える。
フリーで働く人は自分の好きなことを仕事にできるというメリットがあるけど「安定的なお給料がない」という苦悩を抱える。
僕は仕事内容を重視するから、後者の苦悩を選択しただけ。
自信作だと思ってたのは偽りだったと実感した
同期とは会社を辞めてから一度も会っていなかったから、もちろん「今、何してるの?」と聞かれる。
自分って何してるかなって整理してみると
まぁ、こんな感じ、前半は自分のメディアを育てる行為で、後半は他人のメディアを育てる行為。
当然、人のものばかり作っていては厳しいので、本来は自分のブログやYoutubeだけで、生計を立てていきたいんだけど、まだまだ全然...。
ブログは半年かけてやっと月1000円稼げて喜んでいる程度だし、Youtubeに至っては始めたばかりだ。
しょぼしょぼとはいえ、自分では良いものを作っているという自負があった。
そりゃ、自信がなきゃそこの戦場で戦おうとは思わないので、それは当然。
、、、だと思ってた。
人に見せても恥ずかしくないものだと思っていたんだけど、その同期には見せれなかった。
それは、自分の創作物に自信がないことの何よりの証拠だ...。
「自信がある」なんて口で言うのは簡単だけど、心の奥底ではそんなこと思っていなかったみたい。
同期は辛いけど楽しいと思える仕事に就き、恋人を作って、GWを楽しんで、、そんななか僕は自分ですらいいと思えないような駄作を作り続けていると思うと情けなくなった。
最初から質の高い満点のものを作れるなんて思っちゃいないけど、今の「現状においての満点」は作れる。
というか、現状においての満点を作らなくちゃいけない。
◇
同期と会って話しただけでこれらを感じることができたから、よかった。
会社辞めた奴に会ってくれるとか、いい人や。ありがとさんー!
ブログ書いてネットの情報にはゴミが多いことに気づいた
僕は半年くらい前から(収益化も目的とした)ブログを書いてるんだけど、そんなことをしていると、ネットの情報に対する向き合い方が変わってくる。
ネットの情報にはゴミが多い
ゴミというと強い言葉だけど、もっと柔らかく言うと「テキトーな情報」が多い。
僕はフリーランスとしての稼ぎが、まだ月3万円くらいのときは、低単価でWebライティングの仕事をしていた。
Webライティングというのは、その名の通りの仕事で、Web上にアップされる記事の作成代行の仕事だ。
例えば「○○ 意味」というキーワードで記事を書くとしたら、○○についてネットでリサーチして、新たな文章として書きあげる。
例えばの話、「イカの生態」について書いたこともあった。
僕が持っているイカ知識なんて、ほぼないに等しいからネットでリサーチするしかない。
言ってしまえば、誰でも書ける記事を書いてた。
こういった低単価な仕事が出回っているということは、僕と同じように知識のない人が、さもそれについて詳しいかのように記事を書く。
もちろん、すべてがテキトーな記事だなんて言わないけど、そういった記事が溢れているのは紛れもない事実。
原因は誰でも発信できる&お金になるから
これの原因はふたつある(と思ってる)。
ひとつは、誰でも情報発信できるから。
ここの「はてなブログ」というプラットフォームは無料で誰でも簡単にブログを作ることができるし、はてなブログ以外にもサイトを作れるサービスはある。
誰でも情報発信できるから、「良い情報」と「悪い情報」が混合するのは、当たり前。
あと、これがやっかいな原因なのが、お金になる、ということ。
Web記事は、誰でも無料で閲覧できるのになんで毎日毎日新しい情報がアップされるのか?
それは、お金になるからに他ならない。
ボランティアでみんなに良質な情報を届けたいって人は少ないだろう。
僕だって、お金以外の目的でブログをやっている部分も多いけど、やっぱり一番大きなモチベーションはお金だ。
ブログは広告産業。
自分が書いたブログ記事で商品を紹介して、それで商品が売れたら、紹介料としてブログ運営者にお金が入る。
とっても極端に言ってしまうと、読者が商品を買ってくれればいい。
だから、対して気に入っていないような商品も「これ、おすすめ!」と書いて、読者に購買を促す。
こうやって嘘が生まれる。
僕もブログを書いている身なので、何度も断っておくと、ネットの情報がすべて嘘なわけじゃない。
これにも理由があって、嘘の情報ばかり書いていると、そういった記事はそのうち滅びるのでメリットが小さい。
これからは動画の情報が最も信頼性高いと思う
ここまで「無料の情報はテキトーなことが多い!」ってな感じで書いてきた。
ただ、最近はこれが覆されようとしているように思う。
YouTubeなどの動画コンテンツです。
これは嘘がバレやすい。
例えば、何の知識もない人が「本」や「良質な記事」の文章を真似て、記事を作成したとしたら、それなりに価値のある記事を作ることができる。
文字はデジタルで、誰が打っても同じだから。
僕が打つ「おはようございます」という9文字と、ホリエモンが打つ「おはようございます」は全く同じ文字だ(もちろん誰が言うかで、読み手の感情は違うんだけど...あくまで「文字の意味が持つ情報」という観点で言うと全く同じ、という意味)。
ただ、動画だったらどうだろう?
僕がボソボソと自信なさそうに言う「おはようございます」と
ホリエモンが自信満々に言う「おはようございます」では、視聴者の感情は大きく異なる。
もっと言うと、僕は専門的な知識がないから、ネットでリサーチしたような薄っぺらい内容を動画で語っても視聴者は「あー、この人詳しくないな...」となんとなくでわかる。
コンビニ店員の「ありがとうございましたー」には感情が動かないのと同じ感じ。
いまYoutube動画には勉強になる&ニュースのような動画が増えてきているように思う。
成功者たちがこぞって無料で良質な情報を届けてくれる。
しかもこれが無料。
僕は、最近動画で勉強することが多いです。
僕が参考にしているYouTuberさんを列挙すると
- イケダハヤトさん
- マナブさん
- りゅうけんさん
- わっきーさん
- モチベーション紳士さん
- 動画集客チャンネル
- えらてんさん
- マスザワ内閣
こんな感じかなぁ。
あとは電子機器のレビュー動画を見たりして、買い物をしてる。
こうやって情報の調べ方が記事(文字)→動画に移り変わるのは面白い時代の変化だなぁと思います。