終末君に会えるなら、ぱらぱぱぱ

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会社を辞めた元理系大学院生ニートのぼやき

両親に喜んでもらう為に受験勉強を頑張ったのに25歳で親不孝者になった

 僕は「人生の歩み方」を自分で決断してこなかったせいで25歳で親不孝者になった。

両親に喜んでもらう為に頑張った受験勉強

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褒められたくて、がっかりされたくなくて

僕が中学生・高校生のときに勉強を頑張っていた理由は、両親に喜んでほしいからだった。

勉強をして成績が上がれば両親は褒めてくれた。両親は僕の頑張りを認めてくれていたし、期待もしてくれた。

ただ、勉強をサボってテストの点数が下がれば「期待を裏切ってしまった」と僕は勝手な罪悪感があった。

 

「勉強って社会にでてからどう役に立つの?」

誰もが一度は抱いたことがあるだろうこの疑問。僕にとってはどうでもよかった。モチベーションは自分の為じゃない。

 

自分で言うのもなんだけど、勉強だけは真面目に取り組んだ自信がある。テスト週間は、毎週楽しみにしていたドラマを見ることも、漫画を読むことも自ら断ち切って勉強、勉強。

周りの友達からは「真面目かw」「ガリ勉かよw」と笑われたけど、両親がその頑張りを認めてくれたら、そんな嫌な思いも吹き飛んだ。

 

朝10時。ドキドキしてベッドからなかなか出られなかった、大学受験の合格発表当日。パソコンに映し出された合格者一覧。

僕の受験番号があるのを確認するやいなや、僕は飛び跳ねて喜んだし、お父さん、お母さん、おじいちゃん、みんなが一緒に喜んでくれたあの光景は今でも鮮明に覚えている。

受験を乗り越え第一志望の大学に晴れて合格することができた。

勉強する目的を失った大学生活

小さな頃からテレビが好きで、放送技術士という職業に憧れて通信工学が学べる工学部に進学した。

 

念願叶った第一志望の大学に入学

同じような志を持った大学友達

自分の学びたい学問

 

僕が勉強する理由はいくらでもあった。

あったのに、僕は大学に入った途端に勉強をしなくなった。

 

理由は簡単。

勉強を頑張ったところで褒めてくれる人がいなかったから。

県外の大学で一人暮らしを始めて親の目からは遠ざかっていた。

 

今振り返るとなんて情けないんだと、、、過去の自分に会って教えてやりたい。

ただ、僕が勉強する目的が「両親を喜ばせること」だったから、そうなるのは当然と言えば当然のことだった。

 

自分の為に勉強をした大学院生活

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大学に入学した意味を持ちたかった

大学生活、成績は最悪だった。なんとか留年は避けたけど、就活する時期になったところで僕は大人にアピールできるような武器は何も身につけていなかった。

 

「あれだけ憧れていた大学に入ったのに僕は何をしていたんだ...」大学3年生のときに遅すぎる後悔をした。

 

このまま卒業してはダメだ。そう思って、自分の意思で学びたい学問「通信工学」を大学院に進学して研究したいと思った。

大学に入学した意味を持ちたかった。そう思い、両親にお願いして大学院に進学させてもらうことに。

自分の為の勉強はめちゃくちゃ楽しかった

大学院に進学すると、「既存の知識を吸収する勉強」に加えて「新たな知見を自分で開拓する研究」をすることになる。

僕が高校生のときから興味のあった通信工学の勉強&研究をがっつりできたこともあって、大学院生活はめちゃくちゃ楽しかった。

 

研究室に深夜までいるのなんて当たり前。どうしても取り組みたいことがあれば徹夜をしてまでも、次の日に教授に研究報告をした。

学部生のときの僕の成績を知っている担当教授は、僕の研究の没頭っぷりに「本当に同一人物?」と口にしたほどだ。

おかげで、毎月のように研究成果を学会で発表できたし、海外での学会にも参加することができた。

 

僕はこのとき、自分の意思で決断することの大切さを身に染みて感じた。

自分の意思で動く、、、当たり前のことのように思えるけど、僕の過去の行動は「周りの環境」に支配されていた。

 

「両親」が喜んでくれる...

「友達」にバカにされないように...

「常識的」に考えて...

 

僕が大学院時代に研究に没頭した理由は僕の中にあった。そこには「両親」も「友達」も「常識」もなかった。だからこそ、得られた研究成果だったし、有意義な時間だった。

自分で人生を決めると親不孝者に

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大手メーカーを入社8ヵ月で退職

そんな大学院生活も終わり、僕は大手通信機器メーカーの技術職として採用されることとなった。ただ、正直に言うと内定を貰ったときから、就職はあまりしたくなかった。

それは、内定企業に不満があるとか、働きたくないという意味じゃなくて、その頃の僕は企業に入ることより、個人で仕事をするフリーランスに憧れていた。

 

ただ、企業に勤めたこともないのに個人で仕事をする方法なんてわからなかったし、会社員として働くということも体験していないのに就職したくないと言うのもおかしなことだと思ったから一度就職してみることにした。

 

 

就職してみて思ったことは「あぁ、やっぱり違うな…」だった。

このままではなりたい自分にはなれないと思った。だから入社8ヶ月で退職した。

みんなは短いって言うけど僕にとってこの8ヵ月はとても長かった。

 

だって「試しに入ってみたけどなんか違うから辞めます。」なんて身勝手すぎるし、そんなの周りの大人が許さない。

でも、周りの大人の為じゃなく、自分の為に行動しようという考え方は堅かった。

 

会社にとっては迷惑なこと

両親へ心配をかけること

これからの自分の働き方の不安

 

考えは堅かったと言っても、退職という決断に至るまでに、それはもう僕に抱えきれないくらい多くの迷いがあったのはたしかだ。

あの頃の僕とは違う

両親は僕のことが心配でしかたがないようだ...。社会経験をほとんど積んでいない僕が会社を辞めてフリーランスになりたいと言うんだから当たり前だと思う。

 

大学院まで進学させてくれた両親には本当に感謝してる。

そして、25歳にもなって心配をかけてしまってることが本当に申し訳ない。

 

けど、

 

恐れずに言うと、

 

僕は両親を安心させるために生きてるわけじゃない。

 

自分にとって正しい行動なのかそんなことわからない。ただ、誰かの為になるから頑張る、という考えがいかに浅はかだったかは人生を通してわかったことだ。

 

自分の意志で人生の選択をすると大切な人に心配をかけてしまうって、、、

どれだけ生きることってハードモードなんでろうって、この世の仕組みを恨んでしまいそうなほどだ。

 

ただ、両親を心配させてしまっているのは、これまでに自分が安心させてあげられるだけの実力をつけてこなかったせい。そんなことわかってる。

 

だからと言って、自分の目標の為に行動をしないのは絶対に違う。むしろ、実力がないからこそ飛び出す必要がある。

 

今、現状は親不孝者かもしれないけど、僕が会社を辞めたことが正解だったと証明できれば少しは変わるんじゃないかと、思うしかない。