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会社を辞めた元理系大学院生ニートのぼやき

他人の気持ちを知ろうとする人になりたい|藤崎彩織 著「読書間奏文」を読んで

「他人の気持ちを汲める人でありたい」というのは常々考えてることだ。

なぜなら、誰かの何気ない一言で傷ついたことが何度もあるから。

藤崎彩織 著「読書間奏文」を読んで

アーティストのSEKAI NO OWARIが昔から好きで、一人でライブに行ったこともあった。

ボーカルの深瀬さんの声や考え方が好きだし、なかじんの活動っぷりはその裏のとんでもない努力量が見えるし、彩織さんの曲やライブパフォーマンスに対する姿勢が好き(あくまで、いちファンとしての僕の見え方)。

 

彩織さんは読書家でもあり、彼女自身も小説を書いていて、その初めての小説「ふたご」は直木賞の候補にノミネートされるほどの多才っぷり。

そんな彩織さんが2018年の末にエッセイ本を出した。

読書間奏文

読書間奏文

 

 早速読んだわけだけど、、、

びっくりした。

 

エッセイ本は読んだときに僕が感じることは

  • 純粋に読んでいて面白い
  • 著者独自の視点の意見が参考になる

そして、今回読んだこの「読書間奏文」は後者の「著者独自の視点の意見が参考になる」ポイントがふんだんに盛り込まれていた。

 

それは、もう、、びっくりした。

僕と彩織さんとの境遇の違い

見出しに「僕と彩織さん」と並列に並べてしまうのが申し訳ないくらいに、それぞれの境遇が違う。

なんと言っても彼女は超売れっ子バンドの一員だし、エンターテイナーであり、パフォーマーであり、作家であり、僕より年上であり、一児の母親であり...

もう何もかもと言っていいくらいに違う。

 

エッセイ本を通してそんな方の頭の中を覗いてみると、新しい気づきが多い。

 

例えば、アーティストとしての一面。

売れずに自分たちでライブハウスを作って借金を抱えて貧乏していた頃の話。

ライブに関するニュースで誤解を招く報道をされた話。

 

作家としての一面。

好きな作家さんの話。

処女作「ふたご」を執筆するときの話。

 

妊婦さんとしての一面。。。

 

などなど、それらを体験した人だからこその、苦悩であったり、喜びであったり、治験であったりが赤裸々に書かれていて、

僕はページをめくる度に「へぇ、そのとき、そういうことを考えていたんだ..」と、

「自分の中で勝手に作った彩織さんのイメージ」と「彩織さんの考え」のギャップに気づかされた。

他人の気持ちを知ろうとする人になりたい

彩織さんは、周りの人からの何気ない悪気のない一言について、あれこれと自分の考えを綴っている。

その言葉というのは、僕もかけてしまいそうなほど、ほんの些細な会話から出た言葉なんだろうけど、彩織さんにとっては重くのしかかることもあったそうだ。

 

「己の欲せざる所は、人に施すことなかれ」

これは、中国の孔子が言った有名な言葉で「自分がされて嫌なことは、人にするな」という意味だ。

これだけ聞くと「まぁ、そうだろうな」という内容だが、この言葉の裏にはこんなエピソードがある。

 

孔子の弟子である子貢が、

「私は人にされて嫌なことは、人にしないようにしています」というと

孔子はこういったそうだ。

「それは、私も目標にしているほど、とても難しいこと」

「お前ごときが、できるようなことではない」

 

たしかに、相手を傷つけてしまうような発言はしないように、と思っていても僕の何気ない発言が誰かを傷つけてしまっているかもしれない。

それは僕が他人の気持ちを汲めていないからであり、だからこそ無意識的に身勝手な発言ができてしまう。

僕自身が誰かの何気ない発言に傷ついた経験があることが、何よりの証拠だ。

 

「読書間奏文」を読んで。

他人の気持ちを汲めるようになるのは果てしなく難しいことだと思った。

世の中には人の数だけいろんな人がいる。

ひとりひとりの気持ちを汲むことはできないけど、目の前の人の気持ちを知ろうとすることならできる。

 

まずは、できることから始めてみようと思う。