終末君に会えるなら、ぱらぱぱぱ

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会社を辞めた元理系大学院生ニートのぼやき

ゴミ箱から溢れるゴミをみて

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先日ロッキンラジオという野外フェスに行ってきた。

フェスはめっちゃ楽しくて、最高の気分で会場を後にしようとした、そのとき。

会場にはゴミ箱が設置されているんだけど、そのゴミ箱には収まりきらないゴミが散らかっていた。それはもう、見るに堪えないくらいに。

ゴミ箱から溢れるゴミをみて

ゴミ箱には入りきらないので、誰かがゴミ箱の上とか横にゴミを放ったんだろう。そして、それを見たまた誰かが「じゃあ僕も、じゃあ私も」とあれよあれよと、ゴミが積もっていって、最終的にはゴミのなだれが起きるほど...。

 

情けねぇ...

それを見て、呆れとか、怒りとか通り越して情けなさを感じた。

出口にゴミ箱が置いてあったから、みんなその光景を見たと思う。

そして、僕と同じように多くの人が、嫌な気持ちになったことだろう。

 

「なんで、そんなことできるんだろう...」

きっとその人たちにとっては、「人に迷惑をかける」ことと「ゴミを持ち帰る面倒くささ」ことを天秤にかけたときに、後者が勝ってしまうのだろう。

 

ホント、情けないなぁ...。

情けないと感じたのには2つの理由が

一つ目の理由は、

それを片付ける人の気持ちを想像できていないこと。

当たり前だけど、その散らかったゴミを掃除する人がいるわけだ。

もちろん、ゴミを捨てた人もそれを知ってて捨てている。

 

掃除する人は決して良い気持ちにはならないだろう。

僕がその立場だったら気分が悪い。

「掃除をする僕らの気持ちがこの人たちにはわからないんだろうな」そう感じるだろう。

 

そういった人の感情を想像することができないのだろうか。

いや、もはやそれらを無視してる行為だ。

嫌な気持ちをすることを知っていてやっていることに、恐怖すら感じる。

 

 

そして二つ目の理由は、

みんながやってるから、僕も私も...という精神が情けない

自分の頭で正常に考えたのであれば、ゴミを散らかすなんて絶対しない。

 

「みんなやってるから、ま、いっか。」

「これだけ散らかってたら、捨てても変わらないか」

 

じゃねーよ!(いや、ホントにそう考えてるか知らんが、そう考えてるとしか思えん)

 

こういうところの集団意識って気持ち悪いなと思う。

「みんながやってるから」自分もやる。

行動の理由が他人任せなんよね。

 

なんのために頭ついてんねん。

自分の意思はどこへ行ってしまったんや...。

 

そして、それがいい方向に転ぶならまだしも、思いっきり悪い方向に転んでるからね。アメリカでは奴隷制度を取り入れている時代があったし、天体は地球中心で他の惑星がぐるぐる回っていたという天動説が当たり前のように信じられている時代があった。

 

ここで何が言いたいかというと、こういった個人の脳みそだけでは考えが及ばない、または対峙するものが大きすぎて対処できないものに対して、集団意識が生じるのはある程度しょうがないことだと思う。

 

ただ、ここで僕が言及しているのはゴミ箱。

ゴミはゴミ箱に。という小学生通り越してサルでもわかること。

気分を害する人が多くいるということだ

僕は野外フェスを後にする、その最後の光景としてゴミが散らかっているのを見た。

そのゴミを捨てたのはさっきまで、一緒に音楽を楽しんでいた人たちだ。

僕はそんな人たちと共にしていたのか...と。

 

気分が悪くなるのはそのゴミを掃除する人だけじゃない。

僕と同じように嫌な気持ちになった人もいるだろう。

だから、ゴミを散らかす行為は実害が及ばない人にまで、悪い影響を与えてるということだ。

 

フェスというイベントをみんなで楽しいものにするために、

そういった想像力を持って、

きちんと自分の頭で考えて、

行動したいものや。