終末君に会えるなら、ぱらぱぱぱ

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会社を辞めた元理系大学院生ニートのぼやき

平成最後なので重い筆を持ち上げた

どうも、最近ブログをサボっていたゆうすけです。

ちょっと早めの5月病にかかっておりまして、ブログを書くテンションになれませんでした。

でも大丈夫。もう治りました。

今日は平成最後の日だね

僕は平成5年に生まれました。

台風の日に生まれたみたいです。

よく母親から話を聞くのですが、僕が生まれた日。

 

母「もう出るかもしれんわ」

父「まだでしょ。予定日までまだ結構あるよ」

母「いや、まじで」

父「...とりあえず仕事行ってくるわ」

母「....」

 

その日(?)本当に僕が生まれたそうです。

僕のせっかちな性格はどうやら持って生まれたものなのかな。

 

よく、「産後の恨みは一生続く」といいますが、母親の姿をみているとそれはマジのようです。上記のやり取りの話をけっこう聞いたので。

 

逆に「産後の優しさは一生忘れない」とのことです。

なので、僕がもし子供を授かるような日が来たなら、奥さんにうざったいくらいに優しくしたいと、父を反面教師に思いました。

 

 

平成は約30年続いたので、平成生まれの中では僕は割と先輩なほうです。

そんな僕から「平成ってこんな年だったなぁ」と振り返りをここに記そうと思います。

 

僕が小学生のとき、あるときから土曜日に学校に行かなくてよくなりました。これを読んでいる僕より若い人からすると意味がわからないことかもしれないけど、僕たち土曜日に学校行ってたんですよ。

ゆとり制度の始まりです。

「自由にすくすくと育ったらええがな」と偉い大人が決めて、休みが増えました。

 

これによって「平成生まれ=ゆとり」みたいなイメージがつきましたね。

ニュースなんかで大人たちからは「これだからゆとりは...」みたいに呆れられてきましたが、もう令和時代からは、ゆとり勢の方が圧倒的に多くなるので、そんなことも過去の話になりそうです。

 

あとは、平成を語るうえでは欠かせない出来事がありましたね。

2011年3月11日。

東日本大震災が起きました。

2018年(平成30年)9月10日時点で、震災による死者・行方不明者は1万8,430人

 

僕は震災が起きたときは、愛知県の高校で部活をやっていたので、揺れを体感しませんでした。

部活が終わって家に帰って、テレビに映る画面に驚いたのを今でも覚えています。

 

次々と土地を飲み込んでいく津波

まるで、おもちゃのように家が水に流れていく。

テレビ越しで恐怖を感じるくらいでしたから、現場の人たちにとっては、まさに絶望的な光景だったと思います。

 

それを見て、自分の命も必ずしも明日が保証されているわけじゃないと思うようになりました。

頑張って積み上げて努力しても、自然は残酷で、それらを一掃してしまう、とても理不尽なものに思えました。

正直、悔しいですね。命って1個しかなから大切にしているけど、こんな理不尽になくなら、あんまり大切にするべきでもないな、とすら思います。

 

というのも、2018年に大阪で起きた最大震度6弱地震を僕は体感しました。

「死」の恐怖を感じました。

「あ、自分の人生ってここで終わりかも...」と思うことって、想像以上に怖かったです。

自分史で平成を語れないのが悔しい

ここまで書いてきて、悔しさがこみ上げてきました。

自分史を語るうえで「これは欠かせない!」という出来事がないんです。

 

「俳優を目指していて、○○の舞台に立てた!」とか

「作家を目指していて、コンクールで受賞した!」とか、

 

自分って何者でもないなーと悔しいですね。

自分のことを語る代名詞みたいなものがないって、案外けっこう悔しいですね。。

 

だから、生きているかわかりませんが、令和時代が終わるころの自分にはそんな後悔はさせません。絶対。

自分なりの結果でいいから、自分を語るうえでこれだけは欠かせない、というものを作ります(宣言)。