合格と不合格を経験した僕が、受験に落ちた人に伝えたいこと
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これを書いているのは4/22。
受験シーズンから少しズレたこの時期にこの記事を書こうと思ったのは、超なんとなくだ。
そんなテキトーなこと言ってるけど、は超真面目な話を書こうと思う。
過去の自分がこれをみたら「この人けっこういいこと言うじゃん」くらいに思えるはずなので、ぜひ読んでほしい。
特に受験に落ちた君に。
高校受験に落ちた過去
僕も同じように落ちた。
落ちるって超つらいよね。めっちゃへこんだよ俺。
「今まで頑張ったのに...」
「おれの努力はなんだったんだ..」
って。受験って残酷だなと思った。
僕は高校受験で市内で一番頭がいい高校を受験した。
中学校の上位10~20%くらいの人が挑戦するくらい。
僕は塾に通っていて先生からも「お前は大丈夫だろう」と言われるくらいには勉強して、準備もしてた。
そこで、驕った。
サボった。
勉強は嫌いだったから早く受験日が来て逃げ切りたいと思った。
最後の最後まで走り切れなかったことが原因で落ちたと思う。
対して僕と一緒に同じ高校を目指していた友達は合格した。
ライバル視していたから死ぬほど悔しかった。
おれはあいつより劣っているんだと何度も自分が嫌いになった。
大学受験に合格した過去
高校に落ちたこともあって大学受験は絶対落ちたくないと思った。
死ぬほど勉強した、、とは言えない。
正直自分が手の届く偏差値の大学を受けた。
高校受験のときのように背伸びをすることをやめた。
それでもそこそこ賢い大学を受けたので勉強もそこそこした。
やっぱり受験合格は嬉しかった。
高校受験で落ちたこともあってめちゃくちゃホッとした。
親も喜んでくれた。頑張ってよかったと思えた。
はっきり言うと合格不合格の境界は大きい
高校受験で落ちて、大学受験で合格した僕から言えることは、はっきり言うと合格不合格の境界はかなり大きいということ。
受験に落ちた人にこんなこと言うと酷だけど、これは事実だと思う。
人は勉強にしろ部活にしろ、自分で努力して成長しているように思えるけど、そういった自分のような内部的な要因だけじゃなくて、
同級生のような周りの外部的な要因によって大きく成長できたりする。
スポーツで上手くなりたかったら強豪校に相手をしてもらうことが手っ取り早いし、
頭良くなりたかったら、偏差値の高い人たちに囲まれた方が手っ取り早い。
合格不合格で変わる一番大きな要因は、自分と関わる人が変わることだ。
偏差値の高い人と付き合えば必ずいいとは言い切れないけど、受験に一生懸命になれるような人であれば、同じ境遇の人と接した方が刺激的な毎日になると思う。
でも入学後の方がもっと大きい
ここまで書いていて、大学受験で合格した僕が、周りの同級生に刺激を受けて満足する大学生生活を送れたかというと、答えはノー。
むしろ、逆。
めっっっちゃ怠けた。
大学は良くも悪くも自由で、僕はそれが悪い方に働いた。
それは何でかっていうと、僕は大学受験合格をゴールにしてしまっていたからだ。
合格した時点で満足してしまった。
ましてや大学生活は親元を離れていたので、親からの監視の目もない。
僕には勉強する意味がなかった。
今、大学生のときに怠けたツケを挽回するために頑張ってると言っても過言じゃない。それくらい後悔してる。
だから僕がここで言いたいことは、
「受験に落ちたことはチャンスでもある」ということ。
実際に僕は高校受験に落ちたことがバネになって勉強を頑張れた。
そして、大学受験に合格したことに調子を乗って大学では勉強をサボってしまった。
合格・不合格の境目はその時の「点」の出来事でしかないんだけど、学校生活での出来事は点の数がとても多いいわば「線」の出来事だ。
環境は自分を変えてくれる要因ではあるんだけど、別に学校だけが環境じゃない。
サークル・クラブ・習いごと・バイト、、全部自分で選べる。
「落ちたことによって自分は不遇だ」なんて言い訳でしかない。
あなたが行きたかった学校に合格しても、だらしなく生活している人もいる。
ってか、ちょっと背伸びして受験できるだけで凄いことだよ。
それだけ向上心ある人なら落ちても大丈夫。
環境に文句を言うのはダサイわよ!!