終末君に会えるなら、ぱらぱぱぱ

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会社を辞めた元理系大学院生ニートのぼやき

社会人、正解のない問いに挑み続けないといけない件

「今でしょ」で一世を風靡した林修先生が好きで、よくテレビやYoutubeで見る。

そんな林先生がいつもこんな話をする。

 

社会に出たら求められる能力はこの2つ。

「創造」と「解決」

 

僕が考える「創造」

僕が考える「創造」

「創造」は問いを作る作業だと思う。

 

自分はお金を稼ぐために、

ブログをやるのか?

Youtubeをやるのか?

イラストを描くのか?

 

ブログを書くとしたら、

何を書くのか?

誰に向けて書くのか?

読まれるには?

 

「?(問い)」だらけだ。

 

誰も正解を教えてくれない。

 

僕がいまこうやってブログを書いてることも、まっっったくの無意味な行為なのかもしれないし、

これが多くの人にみられるブログになるかもしれない。

 

学生のときは大人が「問い」を与えてくれた。

 

テストでいい点をとりなさい

この問題集をやりなさい

いい大学に行きなさい

 

人に言われるがままに動くのは賢くないんだけれど、それでもこうやって「問い」を与えてくれるというのは、本当にラクなことだと痛感する。

 

逆に言うと、大人は自分で問いを作ることができるから、楽しいんだけどネ☆

僕が考える「解決」

僕が考える「解決」

「解決」はそのままの通り。

これは学生のときからやっていたこと。

 

「テストでいい点をとる」というミッションを解決する

「ブログが見られるようになる」というミッションを解決する

 

できないことをできるようになる作業だ。

 

僕はいま、あるYoutuberさんのサムネイルを作っているんだけど、

これは「サムネイルによって再生回数をアップさせる」というミッションを課せられている。

 

まーこれが答えが出ない出ない

 

わからないことだらけ。

どうやったら再生されるサムネになるのか?

視聴者の期待を裏切らないサムネはどうやったら作れるのか?

どういうデザインで?

どういう配色で?

何が大事で?

誰が見て?

 

もう、「はてな」だらけである。

 

僕としてはこれは再生回数が上がるに違いない!というサムネを作っているんだけど、数字は残酷でピクリとも動かない。

 

ミッションを課せられたいま、正解を探し続けています...。

問いを「創造」し「解決」する

問いを「創造」し「解決」する

社会人、正解のない問いに挑み続けないといけない。

こんなの当たり前のことなのに、なんで学校の教育には組み込まれていないんだろう?

 

なぜか部活に入ることは当たり前だし、

全教科勉強することは当たり前だし、

そもそも勉強すること自体が当たり前になっている。

 

与えられることが当たり前になっていて自ら問いを「創造」することがあまりなかったように思う。

 

多くの人は会社員になると思うから、そうなると学校と同じように問いが上から与えられるからかな。

 

ひとつ言えることは、自ら問いを「創造」して「解決」することは「すげぇ楽しいよ」ということ。

 

もちろん、大変なことが多いし、頭を悩ませることばかりだけど、、その分たのしい。