山里亮太・蒼井優の結婚は世の男子に希望と絶望を同時に与えたよね
南海キャンディーズの山里亮太さんが、女優の蒼井優さんと結婚したことが最近話題になりましたよね。
やったね山ちゃん!(喜
ずるいよ山ちゃん!(泣
希望
「30超えたら男はモテる」
この言葉を盲目的に信じている僕はいま25歳なわけだけど、山ちゃんはこれを証明したよね。
バナナマンの日村さんも美人なアナウンサーと結婚したときにはかなり話題になった
別に芸能人の方の「ブサイク」ってキャラなんだけど(だって本当に見ていられないほどのブサイクだったらそもそもテレビにでてない)、そんな人が才色兼備な女性とパートナーになるって世の全男子の希望の星だよなぁ、と思う。
「世の中、顔?金?」
みたいな論争があるけど、顔だけじゃない!ってことを証明してくれた気がする(もちろん美人さんと結婚するだけが人生じゃないけど☆)。
これって若い世代の人にとっては大きなモチベーションになると思う。ってか俺はなった(チョロイ
だって、モテたいのは男子みんなそうだし「おれの人生モテモテだわー」なんてこと本当に言える男子なんてそうそういない。
まさに希望の星☆彡
絶望
遠くへ行ってしまった山ちゃん...
すごくタイムリーでびっくりしたんだけど、結婚報道がされる直前に山ちゃんのエッセイ本を読んでいた↓
この本のタイトルや山ちゃんの人物像から想像できるように、この本を読んだとき僕は「ネガティブをパワーに変える泥臭いカッコよさ」を感じた。
「モテたいと隠していた感情」
「売れていく同期芸人への嫉妬」
「相方しずちゃんとの溝」
これらネガティブな感情をガソリンにして、いまの位置にたどり着いたその男気!!
めっちゃカッコイイと思った!!
それはなんでかと言うと、親近感を抱くことができたから。
当然僕にだって、というか誰にだってネガティブな感情はある。
ただ、テレビの画面では芸能人の本当にネガティブな面は映し出されることは少ない。
輝かしい部分にだけスポットライトがあたる。
当然僕みたいな一般ピーポーからしたら芸能人は遠い存在なんだけど、山ちゃんのような泥臭さは「僕でも何者かになれるかも」と希望をくれる。
しかーーーし!!!
山ちゃん。
蒼井優さんと結婚できるなんて親近感もクソもないよ!!泣
芸能人界の中で唯一寄り添ってくれていた山ちゃん(メンヘラ
僕のそばで「お前でもできるよ」と言ってくれていた山ちゃん(幻聴
最初から近くにもいなかった人が、遠くへ行ってしまったようで寂しさも感じました。
外見は中身の一番外側
山ちゃんって「キモキャラ」のイメージがあったんだけど(髪型きのこのときとか)、別に顔がキモいわけじゃないよね。
男の人って女の人と違って化粧しないから、顔って素材勝負みたいなところあるけど、本当にカッコイイ人って中身が魅力的な人だと思うんですよね。
よく言うけど、髪型と眉毛を整えればそれなりになるっていうアレ。
「他の男の人がやらないところまで手入れをする」という美意識の高さがその人をカッコよく見せてると思うんです。
だってこの山ちゃん様めっちゃかっこええやん。
要は何が言いたいかって、
中身って何よりも大事やね、ってこと。
その「中身」というのは、人間的な魅力であったり、物理的なパワーであったり、経済力であったりと何でもいいんだけど。
他の人にはない。その人独自のもので、他人から羨ましがられるような、何か。
僕は山ちゃん様が羨ましすぎるので、中身のある人間になって超絶美人と結婚したいと思います。
\んじゃね!/
受動的ストレスより能動的ストレス
ストレスという言葉は悪い意味で使われることが多い。
本来の英語の意味は「負荷」。人間負荷があってバネのように反発しようとするから成長できる。
だからストレスって成長には必要なもので、今回はそんなお話。
受動的ストレスと能動的ストレス
タイトルにある受動的ストレスと能動的ストレスは僕は今パッと思いついた言葉なんだけど...これから書くことを端的に表す言葉だ。
受動的ストレスというのは...
「他人から与えられるストレス(負荷)」のこと。
親から勉強しなさい!と言われる負荷も
上司からこれやっといて~と言われる負荷も、受動的。
対して、能動的ストレスというのは...
「自分から取りにいくストレス」のこと。
自分から○○やりたい!と思って取り組む際にかかる負荷が、能動的。
一般的に「ストレス」という言葉が悪く捉えられているのは、前者の受動的ストレスを受けている人が多いからだと思う。
「なんだよ..今勉強しようと思ったのにぃ」
「え、これも僕の仕事ですか..」ってな具合に。
(´・ω・)<鬱陶しいよねぇ...
これらはストレスだけど、「それに取り組むことによって成長できる」ということもたしかだ。
筋肉を増やそうと思ったら体に負荷を与えないといけない。それに似てる。
それぞれのストレスのメリット・デメリット
受動的ストレスの
メリット:誰かが課題を与えてくれる
デメリット:余計なストレスが多い
能動的ストレスの
メリット:ストレスと感じにくい
デメリット:自ら課題を見つけることの面倒くささ
それぞれ対比してメリット・デメリットがあるんだけど「成長」ということに着目すると圧倒的に能動的ストレスの方が大事。
誰かに強いられる作業より、自ら率先して行う作業の方が学習スピードが早いのは言うまでもない。
つまらない勉強より、楽しいゲームの方が上達する。
でも、ゲームをやっていてもつまらない瞬間ってのはある。敵に負けたときとか。そこにストレスはあるんだけど、それはストレスと捉えにくい。
僕がこれを感じる理由
ここまで抽象的な話ばかりしてきたから、次は僕が体験した具体例を交えてお話しすると。
僕は新卒で入社した会社を約8ヶ月ほどで退職した。
それは、会社にいれば受動的ストレスを感じることになるから。
「そんなの当たり前やん」
「甘えんな」
と思われる前に弁解したいんだけど、
僕は成長するためにもっと能動的ストレスを感じたかった(ドMではないヨ(^<^)。
新入社員に激務を押し付ける会社もどうかと思うけど、僕がいた会社はとてもぬるかった。先輩社員の姿を見ても「ぬるいなぁ...」と思ってしまった。
新卒と言えど大学院まで進学していた僕は当時24歳。
SNSを覗けば僕より凄い24歳なんてゴロゴロいた。
こんな環境に身を投じていてはダメだと思った。
まぁ、他にも理由はいろいろあるんだけど、なんやかんやで会社を辞めた。
会社を辞めてからというもの、毎日仕事をした。能動的負荷をかけまくった。
特別なスキルなんてなかったから、毎日毎日仕事に取り組んで月3万円しか稼げなかったときは、自分なんてまだまだ雑魚だと自負した。
それからもっと、もっと自ら負荷をかけてきて、
会社を辞めて5ヶ月目、会社員にいたときの倍くらいは稼げるようになった。
これは能動的ストレスをかけたからだと思ってる
要は取り組むことは自分で選択しようって話
最後に話をまとめると要は、
「取り組むことは自分で選択しよう」って話。
ここで僕が会社員のときに、あるビジネスマンがしてくれた話を紹介すると...
選択って自分でしているように見えて、環境によって選択をさせられていることが多い、ということ。
その環境というのは、「普通に考えたらこうする」とかっていう常識だったり「両親に○○しなさい」と言われたから、とかっていう人だったりする。
日本は裕福な国だし、あらゆることが自分で選択できるんだけど、実は自分で選択している人は少ないんだよ。
というお話。
つまり、自分で人生の選択をするというのは、当たり前なようで、意外とできていないということ。
能動的ストレスは自分を成長させてくれる。
だったら、自分で選択してくべきだなと、今回はそんなお話でした。
自分を動かしてくれるのは「高い目標」
モチベーションを高く保つって大事なことだけど、難しい。
勉強しようって意気込んで机に向かったはいいものの、1時間も経てば誘惑に負けてYouTubeを見てしまうし、次の日には机に向かうことすらやめてしまう。
だから、高い目標を持つことが大切だな、と。
高い目標を立てる重要性
僕は月が変わるタイミングで今月の目標を立てる。
例えば、僕の今月の目標は
- 収益30万円
- ブログ10記事執筆
- YouTube動画10個作成
- 本9冊読書
ちなみに、先月の成果は
- 収益45万円
- ブログ8記事
- YouTube動画3本
- 読書6冊
なので、まぁキツイけど頑張ればイケる...かな?というくらい。
いつもちょっと背伸びをするくらいの目標を立てる。
こうやって目標を立てると1日の行動が明確になる。
収益30万円なら、1日1万円分の仕事をする必要があるし、ブログ・YouTubeを10本作りたいなら3日に1本のペースでつくならきゃいけない。
やることが明確なんだから、あとはやるだけ。
1日は起きてる時間は15時間くらいは最低でもあるんだから、それだけあればできる。ただそれだけのシンプルな作業になる。
僕はストレグスファインダーという本の診断によると「目標志向」という強みがある。
目標を立ててそれに沿って実行するというのは、僕にとっては成功に近づくために適した行動ということ。
夢はでかくなけりゃつまらないだろう?
忍たま乱太郎の主題歌「勇気100%」にこんな歌詞があるよね。
やりたいこと やったもん勝ち
青春なら
つらいときはいつだって
そばにいるから
夢はでかくなけりゃ
つまらないだろう
胸をたたいて
冒険しよう
ええ歌詞や...。
僕は過去に「人生でやりたいことリスト100」を作った。
中身は、
- テレビ・ラジオに出てみたい
- 本を出版したい
- Twitterのフォロワーを増やしたい
- 自分の店を持つ
などなど、今の自分では到底達成できないことだらけ。
これらは僕にとってはでかい夢で...それらを達成するには相当の努力をしないといけない。
だったらやるしかないわな。
人は背中を押してもらう何かがないと動かない
何度も思うことだけど、人間はだらけてしまう生き物だ。
仕事とかふつーしたくないもん。
毎月何もしなくても100万円くらい入ってくれたらいいのに(クズ
でも現実はそんなこと起きるわけもなく、人生変えるには自分が動くしかない。
じゃあ怠惰な自分をどうやって動かすかと言うと...
「背中を押してもらう」
これだと思う。押されたら「しょうがない..歩くか..」と一歩を踏み出せる。
そして、僕は「夢・目標」に背中を押してもらってる。
「お前の夢叶えるには、YouTubeばっか見てたらダメだろ!」
「はひぃいいい!!!!頑張りますぅぅうう!!!」
まあ半分冗談な話だけど、半分マジなのは間違いない。
だから、夢は大きく持つべきだし、
そして、自分を動かしてくれるのは「高い目標」
日本がヤバすぎて逃亡したい|事件・経済・現象まとめ
日本の将来ってどうなの?
なんだかヤバいと噂されてるけど何がヤバいの?
少子高齢化がヤバい
言うまでもなく、コレ。
こちらの記事の数字を引用する。
2045年以降も人口減少は続き、47年後の2065年には8808万人、65歳以上の老年人口比率は38.4%となり、ほぼ4割が高齢者になる。
生産年齢人口比率は51.4%に落ち込み、現在(2015年)の60.7%を大きく下回る。働ける人が2人に1人の時代になりつつあるということだ。
人口予測はかなり精度が高いので、大きく外れることはないでしょう。
人口減少を食い止めるには
- 出生率の増加
- 移民の受け入れ
のどちらかしかないんだけど、
出生率→日本人全体が子供を育てる金銭的余裕がない
移民→これほど少子高齢化の進む日本に魅力を感じる外国人がいるのか...
どちらも難しいのではないかと思う。
これらがどれくらいヤバいのかは↓こちらの本に残酷なほどリアルに書かれている。
未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)
- 作者: 河合雅司
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/06/14
- メディア: 新書
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僕はこの本は「おすすめする」なんてヌルい言葉で言い表したくない。
若者世代は特に「必読」だと思ってる。
ちなみに、僕は香港旅行の帰りの飛行機でこの本を読んで「日本に帰りたくねぇ...」と思いました。
事故がヤバい
もはや、高齢者が交通事故を起こすニュースは珍しくなくなった。
最近では、滋賀県で園児2人が交通事故で亡くなった。
未来ある子供に、罪のない人に容赦なく襲い掛かる不遇な事故。本当に心が痛い。というか、悔しい。法律は人を裁くことができても、命を還らせることはできないのだ。こんなに続々と被害者が出ていいはずがない。
「交通戦争」という言葉がある。
要は、交通事故で亡くなる人の数は、戦争に匹敵するということだ。
戦争は形を変えて現代にも起こってる。
これだけ日常的に、しかも大量に罪のない命が亡くなってる。
一人一人が意識を変えるべきだろう。
労働環境がヤバい
経団連会長やトヨタの社長が「終身雇用を守ることが難しい」と公言してしまった。
最低賃金1000円を目指す政府の方針に対して、日本商工会議所会頭は「最低賃金1000円は中小企業に重大な影響がある」として反対意見を述べた。
これの何がヤバいのかというと、
最低賃金1000円、1日8時間、20日間働くと、手取りがたったの13万円弱となる計算。
これは、生活保護でもらえる月の額と同等もしくは、それよりも低い計算となるということ。
必死に働いても、生活保護者よりも厳しい経済状況となりうる。しかも1000円計算でこれで、それすら厳しいと言っちゃってるもんだから、ひどい。
経済状況でいうと、年金制度もヤバい。
どうやらこれから生まれてくる子供は、3000万円近い負債を背負った状態で生まれてくるらしい。
働けなくなった高齢者が増えて、生産年齢人口が減るんだから、まぁそういった結末が待っているのは当たり前だろう。
ちなみについ最近、政治家が「3人は子供を産みましょう」的な発言をしたらしい...。
治安がヤバい
痴漢すんな!!!!マジで!!
痴漢や性犯罪の問題は絶えない。どうやら犯罪者は性的欲求を満たすために犯しているというよりは「刺激を求めたり」「支配欲を満たす」ためにやっているらしい。
川崎市で小学生ら19名が包丁を持った男に襲われ、2名の命が亡くなった。
もう...みんなストレス抱えすぎだよ...
それは国全体のせいかもしれないし、個人の問題かもしれない。
まとめ
ここまで何がヤバいのかまとめてきたけど、人口減少以外は解決可能な問題だ(人口減少ももちろんわからんが...)。
何が言いたいかというと、「日本」がヤバいんじゃなくて、「日本人」がヤバいということ。
国は国民一人一人から成り立つものだから、当たり前といえば当たり前の話だけど..。
経済状況が悪くて子供が産めないのであれば、個人で稼ぐ力をつけるとか、一人一人の生産を高めて労働時間の短縮を図るとか...。
事故なんてほとんどがヒューマンエラーで起こるものなんだから一人一人が意識すれば絶対に減るし。
一人一人が幸せを感じることができたら、痴漢や殺害も減るでしょう...。
人口減少・少子高齢化で日本ヤバいよね、なんて誰でも感じてることなんだから、痴漢とかもはや「日本全体がヤバいっつってんのに何してんだよ..」
ブータンって経済的に豊かではなくても「世界一幸福な国」らしい。
お金がなくても、モノががなくも、幸せな人はいる。
みんなで、幸せを感じれる国にしようぜ
情報を取捨選択できる時代に何を得るべきか
一昔前は人が得る情報・好むモノが一様だった。
みんなで一緒にテレビを見て、同じ画面を見る。
アイドルはみんなの注目の的だったし、男の趣味は釣り・バイク...みたいに。ひとりひとり個性があるけど、見ている景色は一緒。
テクノロジーの進化で光景は多様に
スマホの登場は人々の生活を変えた。片手サイズに収まるこの電子機器には一人の可処分時間を考えると無限とも言えるほどに情報が詰まってる。
こんなものが携帯できて画質もいいもんだから、一人一人が自分の好きな情報を好きな時に摂取できるようになった
ネット上には無料・低価格で情報はいくらでも手に入る。これまでは、商品を売るために情報を隠していたんだけど「信頼を得ることが何より重要」とみんなが気づいて情報の無料化が進んだ。
もっと体系的に信頼性のある情報を手っ取り早く欲しかったら本を買えばいい。Amazonでポチれば翌日に届く。
情報を選べるようになったけど...
すごくいい時代になった。
何か勉強しようと思ったら無料でそこそこ、何なら仕事にできてしまうくらいのスキルを身につけられるようになった。
例えば、僕はプログラミンを勉強しようと思ったとき、スクールに通うのでもなく、本を買うのでもなく、「ドットインストール」や「Progate」という無料のサービスを利用した。
あとは、がっつり収益化を目指したブログを作ろうと思ったときには、ブログ解説の手順から、どう書けばいいのかまで無料で全部ネットに落ちてるし、
アコギの練習しようと思って楽譜を知りたかったら「U-フレット」でたくさん見れる。
もう少し「自分に必要な情報摂取」に着目して話すと...
こうやって選べるからこそ、情報が偏るんじゃないかという心配もある。僕がいままさにそのことについて悩んでいるし、多くの人が陥っていることだとも思う。
どういうことかと言うと例えば、
ホリ○モンさんのことが大好きで、本はホリエモンさんの本ばっかり読んでる。ホリエモンが肯定することに同調し、否定することは一緒に揶揄する。そのときは、気持ちいいかもしれない。だって、ホリエモンの本を読めば自分のことを肯定してくれているように錯覚するし、自分が嫌いなものはホリエモンが代わりに嫌いと言ってくれる。
本当にこれでいいのかな?
ぶち抜きたいなら圧倒的なインプットに鬼のアウトプット
そんな疑問を抱いてからは、触れる情報に対して疑いの目を向けることを意識してる。何が正しいのかなんてわからないし、たぶんだけど自分以外から得た情報に自分に最適な答えなんてない。
本を読んでいても、自分が興味を持てない文章は右から左に流れて行ってしまうし、「この本、めっちゃいいことが書いてある!」と思っても、一度立ち止まって「いや、これって僕が考えてることを著者が代弁して自分が気持ちよくなってるだけじゃないか?」と思うようになった。
こんなけ情報が溢れていて、新しい本が毎日で続けるのは、こうやって「著者が代弁してくれる気持ちよさ」に浸ってるだけなんじゃないかとさえ思う。
だって、成功法則なんてとっくに見つかってる。
絵描きになりたいなら、プロの絵描きの絵を見て勉強(インプット)して、自分でも絵を描きまくる(アウトプット)しかないし、
野球選手になりたい場合も、弁護士になりたい場合も、なんでもなんでも何者かになりたかったらもうやることは明解。
やるしかねぇぇええええ!!!
...のかぁ。笑
「お金稼ぎ」は超面白いゲーム
年収って戦闘力みたいに見えません?男性の方は特に。いやー、お金の話って面白いですね(^<^)グヘヘ
お金稼ぎは超面白いゲーム
フリーランスになって、5ヶ月。スキルがほとんどないままフリーになってしまったので、初月はほとんど稼げませんでしたが、今月は運よく結構稼げました。
ほんの5ヶ月の出来事ですが、お金を稼ぐことってゲームみたいで面白いなと思います。
RPGゲームって...
頑張ってちょっと強い敵に挑んで、経験値貯めてレベルアップして、コイン稼いで、武器を買って、、、さらに強い敵に挑む。
これ、まんま仕事に通ずることがあるなと思います。
ちょっと強い敵に挑む(仕事を受ける)
経験値貯めてレベルアップ(スキルを磨く)
コイン稼いで(お金稼いで)
武器を買う(本やセミナーでさらに勉強)
さらに強い敵に挑む(さらに難しい仕事を受ける)
このループを繰り返してたら、すこーーーしずつ稼げるようになりました。
自分がやってることが正しいかどうか、お金という誰もがわかる指標で測られる。
ただ「お金」は現実をつきつけてくる。努力が足りなければ、ついてこない。世の中はとても公平なジャッジをお金で下してくれる。
テスト勉強に似てる
この感覚、テスト勉強に似てるなと。
勉強って、正しい努力で、十分な量をこなさないと、なかなか結果がでない。
僕は高校受験に落ちた過去がある。マジでそのとき「あれだけ頑張ったのに...」と公平に評価を下すことの残酷さを身に染みて感じた。
ただ、そのくやしさをバネに大学受験は頑張って第一志望に合格することができた。そのときは反対に、公平な評価が下されたことがとても嬉しかった。
「先生に好かれてる生徒はいい評価を受ける」
「上司が自分の正当に評価してくれない...」
そうやって評価を誰かに委ねると不満がでる。
僕は自分で「会社を辞めてフリーランスとして働く」という道を選んだから、これに対しての不満がない。評価は公平に残酷に下された方が、嬉しさが倍増する。
どうせ働くんだから楽しみたい
「お金稼ぎって超面白いゲーム」なんてタイトルつけておきながら、最後にこんなこと言うのもなんだけど、やらなくていいものならやりたくない。
何もせず明日から口座にお金が自動的に入るなら、ぜっっったい仕事しない。
超面白いゲームじゃなかったんかいっ
というツッコミは無しにして、なぜ仕事するかって、そりゃ生きていくためにはやらないといけないことだからだ。
仕事はどうしたってやらないといけない。しかもこれが基本的にやりたくないことだからみんな悩む。
ホ○エモンさんは「世の中につまらない仕事はない」と本で書いていたけど、そういった目の前のことを楽しむことは大切だと思う。
どうせやらないといけない「お金稼ぎ」という作業があるなら、これって超楽しいものなんだ、と自分に思い込ませちゃえばハッピーだよねって。もはや自分で自分を洗脳させようとしてる。
両親に喜んでもらう為に受験勉強を頑張ったのに25歳で親不孝者になった
僕は「人生の歩み方」を自分で決断してこなかったせいで25歳で親不孝者になった。
両親に喜んでもらう為に頑張った受験勉強
褒められたくて、がっかりされたくなくて
僕が中学生・高校生のときに勉強を頑張っていた理由は、両親に喜んでほしいからだった。
勉強をして成績が上がれば両親は褒めてくれた。両親は僕の頑張りを認めてくれていたし、期待もしてくれた。
ただ、勉強をサボってテストの点数が下がれば「期待を裏切ってしまった」と僕は勝手な罪悪感があった。
「勉強って社会にでてからどう役に立つの?」
誰もが一度は抱いたことがあるだろうこの疑問。僕にとってはどうでもよかった。モチベーションは自分の為じゃない。
自分で言うのもなんだけど、勉強だけは真面目に取り組んだ自信がある。テスト週間は、毎週楽しみにしていたドラマを見ることも、漫画を読むことも自ら断ち切って勉強、勉強。
周りの友達からは「真面目かw」「ガリ勉かよw」と笑われたけど、両親がその頑張りを認めてくれたら、そんな嫌な思いも吹き飛んだ。
朝10時。ドキドキしてベッドからなかなか出られなかった、大学受験の合格発表当日。パソコンに映し出された合格者一覧。
僕の受験番号があるのを確認するやいなや、僕は飛び跳ねて喜んだし、お父さん、お母さん、おじいちゃん、みんなが一緒に喜んでくれたあの光景は今でも鮮明に覚えている。
受験を乗り越え第一志望の大学に晴れて合格することができた。
勉強する目的を失った大学生活
小さな頃からテレビが好きで、放送技術士という職業に憧れて通信工学が学べる工学部に進学した。
念願叶った第一志望の大学に入学
同じような志を持った大学友達
自分の学びたい学問
僕が勉強する理由はいくらでもあった。
あったのに、僕は大学に入った途端に勉強をしなくなった。
理由は簡単。
勉強を頑張ったところで褒めてくれる人がいなかったから。
県外の大学で一人暮らしを始めて親の目からは遠ざかっていた。
今振り返るとなんて情けないんだと、、、過去の自分に会って教えてやりたい。
ただ、僕が勉強する目的が「両親を喜ばせること」だったから、そうなるのは当然と言えば当然のことだった。
自分の為に勉強をした大学院生活
大学に入学した意味を持ちたかった
大学生活、成績は最悪だった。なんとか留年は避けたけど、就活する時期になったところで僕は大人にアピールできるような武器は何も身につけていなかった。
「あれだけ憧れていた大学に入ったのに僕は何をしていたんだ...」大学3年生のときに遅すぎる後悔をした。
このまま卒業してはダメだ。そう思って、自分の意思で学びたい学問「通信工学」を大学院に進学して研究したいと思った。
大学に入学した意味を持ちたかった。そう思い、両親にお願いして大学院に進学させてもらうことに。
自分の為の勉強はめちゃくちゃ楽しかった
大学院に進学すると、「既存の知識を吸収する勉強」に加えて「新たな知見を自分で開拓する研究」をすることになる。
僕が高校生のときから興味のあった通信工学の勉強&研究をがっつりできたこともあって、大学院生活はめちゃくちゃ楽しかった。
研究室に深夜までいるのなんて当たり前。どうしても取り組みたいことがあれば徹夜をしてまでも、次の日に教授に研究報告をした。
学部生のときの僕の成績を知っている担当教授は、僕の研究の没頭っぷりに「本当に同一人物?」と口にしたほどだ。
おかげで、毎月のように研究成果を学会で発表できたし、海外での学会にも参加することができた。
僕はこのとき、自分の意思で決断することの大切さを身に染みて感じた。
自分の意思で動く、、、当たり前のことのように思えるけど、僕の過去の行動は「周りの環境」に支配されていた。
「両親」が喜んでくれる...
「友達」にバカにされないように...
「常識的」に考えて...
僕が大学院時代に研究に没頭した理由は僕の中にあった。そこには「両親」も「友達」も「常識」もなかった。だからこそ、得られた研究成果だったし、有意義な時間だった。
自分で人生を決めると親不孝者に
大手メーカーを入社8ヵ月で退職
そんな大学院生活も終わり、僕は大手通信機器メーカーの技術職として採用されることとなった。ただ、正直に言うと内定を貰ったときから、就職はあまりしたくなかった。
それは、内定企業に不満があるとか、働きたくないという意味じゃなくて、その頃の僕は企業に入ることより、個人で仕事をするフリーランスに憧れていた。
ただ、企業に勤めたこともないのに個人で仕事をする方法なんてわからなかったし、会社員として働くということも体験していないのに就職したくないと言うのもおかしなことだと思ったから一度就職してみることにした。
就職してみて思ったことは「あぁ、やっぱり違うな…」だった。
このままではなりたい自分にはなれないと思った。だから入社8ヶ月で退職した。
みんなは短いって言うけど僕にとってこの8ヵ月はとても長かった。
だって「試しに入ってみたけどなんか違うから辞めます。」なんて身勝手すぎるし、そんなの周りの大人が許さない。
でも、周りの大人の為じゃなく、自分の為に行動しようという考え方は堅かった。
会社にとっては迷惑なこと
両親へ心配をかけること
これからの自分の働き方の不安
考えは堅かったと言っても、退職という決断に至るまでに、それはもう僕に抱えきれないくらい多くの迷いがあったのはたしかだ。
あの頃の僕とは違う
両親は僕のことが心配でしかたがないようだ...。社会経験をほとんど積んでいない僕が会社を辞めてフリーランスになりたいと言うんだから当たり前だと思う。
大学院まで進学させてくれた両親には本当に感謝してる。
そして、25歳にもなって心配をかけてしまってることが本当に申し訳ない。
けど、
恐れずに言うと、
僕は両親を安心させるために生きてるわけじゃない。
自分にとって正しい行動なのかそんなことわからない。ただ、誰かの為になるから頑張る、という考えがいかに浅はかだったかは人生を通してわかったことだ。
自分の意志で人生の選択をすると大切な人に心配をかけてしまうって、、、
どれだけ生きることってハードモードなんでろうって、この世の仕組みを恨んでしまいそうなほどだ。
ただ、両親を心配させてしまっているのは、これまでに自分が安心させてあげられるだけの実力をつけてこなかったせい。そんなことわかってる。
だからと言って、自分の目標の為に行動をしないのは絶対に違う。むしろ、実力がないからこそ飛び出す必要がある。
今、現状は親不孝者かもしれないけど、僕が会社を辞めたことが正解だったと証明できれば少しは変わるんじゃないかと、思うしかない。
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